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筑波大大会第21-30回

第21回大会 1998年11月8日 「黒田林道」 主管学年22期(96年入学)

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 白いテレインを求めて7ヶ月以上のテレイン探しを行い、たどりついたのがここで、第15回大会「赤根林道」の北半分とニューマップの部分からなる。テレインは良質であるが、マップの形から全コースで主要道路を横切らせることになった。その主要道路は会場〜スタート間のバス輸送にも用いたので、競技の公平性や参加者の安全面で問題になったが、参加者への呼びかけ・運営者の交通整理などで対処した。
 今大会では、地元の人に4000枚余りのビラを配布して宣伝したり、町の運動会と日程がぶつからないように開催日を変更したりして、地元の人へのOLの普及にも力を入れた。また、エリートコースでは前回に引き続き電子パンチを用い、筑波大大会の特徴として“甘酒”と同様慣例化しようとする動きがあった。

第22回大会 1999年10月24日 「玉簾の滝」 主管学年23期(97年入学)

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 高い競技性を求め、度重なるテレイン探しを行なったが、結局、「棚倉街道」を越えるものは見つからずリメイクを決定。先代のおかげで調査から大会当日まで順調であった。スタートチャイマーが壊れたり、大会前日の夜にゴムひもがない事に気付いたことなどのアクシデントがあったそうだが、慌てる様子を参加者に見せることなく、無事に大会は行なわれた。通行可能度Cのヤブの中の何本もの道があったのは、何回も行なった草苅りの成果である。いばらと激アップには要注意!!

第23回大会 2000年10月29日 「木葉下2000」 主管学年24期(98年入学)

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 当初はニューマップでの開催も検討されたが、適当な地域が見つからず、またつくばから近い所にあるにも関わらず放置されたままであった「木葉下」をリメイクしての開催となった。実に第4回大会以来19年ぶりのリメイクである。この大会では、筑波大大会では初めてとなるコンピュータマッピングにより地図が作成された。参加者の要望にあわせ、1:10000の地図と1:15000の地図の二つを用意した。またエリートクラスではすでに定着していたEカードをセレクションクラスでも使用し、運営の効率化を図った。さらに大会コントローラーを設定し、競技性の確保も行った。
 当日はあいにくの天気であったが、そのおかげで危惧されていたスズメバチの危険がなくなるというなんとも言えない結果となった。テレイン内は水戸市森林公園が整備されており、公園内の植生はとてもよい。そのため主管学年であった24期が卒業する直前に、公園部分だけを再調査し1:5000に拡大したマップがチャリティーでお披露目された。

第24回大会 2001年11月4日 「恋こがし山」 主管学年25期(99年入学)

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 愛好会が版権を持っていた矢板地区のテレインをインカレ開催のために日本学連に譲渡したときに、栃木県内の他の地区での大会開催が許可されたことを受けて調査されたニューマップ。
 宇都宮市郊外の古賀志山の南斜面を利用したテレインで、古賀志山の山頂から麓の森林公園やダム、観光果樹園にパラグライダー場までを含む景観の多彩なテレインである。
 縮尺1:10000が主流になっていく中、この大会でも1:10000が採用された。また、大会コントローラーの設定も行われ、高い競技性が保持された。愛好会員の人数が減少してきているのを受け、前年の大会同様、各係の再構築が行われた。
 当日は好天に恵まれ、多くの選手が栃木テレインの新たな魅力を楽しんだ。ただ、森林整備が活発に行われているため植生は良いのだが、突然の伐採などにより地図と現地が変化することが多く、運営者を直前まで困らせた。

第25回大会 2002年10月20日 「神峯」 主管学年26期(00年入学)

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 私が所属した時期は愛好会にとっても非常に難しい時期で、会員数が激減した時期でした。伝統ある「筑波大大会」というものを存続させたいけど、その為の負担は尋常ではなく、「会員1人1人が好きなスタイルで参加する」という愛好会のスタンスは崩れ始め、気が付けば仕事に追われている状態。いろんな想い・悩みが交錯した時期です。
 そんな中でも私が実行委員長を務めた第25回大会「神峯」は、はっきり申し上げれば強引に開催した大会だったと思います。正直、運営はカツカツ…っていうかボロボロ。不成立出さなくて良かったというのも洒落にならないくらいでした。その次の大会は坂本・多田野・杉崎・葛城・山田の頑張りのおかげで成功したようですが、「愛好会とは?」という質問への答えが見つからないまま日々の業務に追われ、会全体が苦しんでいた時期だったと思います。
 最近のメーリングリストを見ると、現役の人数としては小規模になっておりますが、みんな楽しそうにオリエンテーリングしてるなというのが伝わってきます。どうかその「楽しさ」を忘れないで。現役生が存分にオリエンテーリングを楽しんでくれることを祈ってます。
(実行委員長:白柳)
 ・嵐を呼んだ山口尚宏氏(失礼)。多田野がケガ。甘酒のサービス・カップめん販売と温泉が好評。

第26回大会 2003年12月14日 「獅子頭」 主管学年27期(01年入学)

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 この大会を開催するにあたり、そもそも、筑波大学オリエンテーリング大会がどのように始まったのかについて思いを巡らせました。その結果として、「面白い大会」と「簡単な大会」と「いろんな人を巻き込む」とというのを追求してみました。新技術をたくさん取り入れてみたので、あまり「簡単」にはいかなかったのですが、自分たちのアイディアが日々、形となっていく過程は、とても楽しかったです。大会名やマスコットキャラクターなんかも作ってみたり、挙句の果てに大会グッズとして「獅子耳カチューシャ」が登場したりと、ウハウハな大会でした。

第27回大会 2004年12月12日 「笠間時鐘楼」 主管学年28期(02年入学)

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 第27回の筑波大大会コンセプトは「できる範囲の大会を開こう」だった。当時の人員や状況を考慮して今までと同じ方法では大会は開催できないと判断したためだ。場所も比較的近いことから笠間市佐白山に決定した。運営として真新しいことは特に取り入れていないが、地図作成を小規模にしてどこまで「今までの大会に近づくことができるか」を追求した大会だったと思う。しかしほとんどニューマップを作成するところからスタートしたことと、当初のプランの甘さから、途中でさまざまな軌道修正が入ることとなった。特に予想以上に藪の厳しいテレインと地図範囲の狭さに最後まで苦戦させられた。大会本番は生憎の小雨模様となったがまあまあの動員を確保できたと思う。プリンタが動作しなくなるというアクシデントはあったがなんとか成立にこぎつけられた。その後東日本大会に一部利用されるなど(最初から決まってたが)地図作成の意義は大いにあったと感じている。
(実行委員長:佐藤)

第28回大会 2005年12月11日 「木葉下」 主管学年29期(03年入学)

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 29期はメンバーが5名しかいない中、黄金時代ともよばれる30期の多大なる協力を得て成功した大会とも言えます。また28期の先輩や、2000年に同テレインで開いた小泉さんや、御礼を言い始めればきりがないほど先輩方にご協力いただきました。辛いことも多かったですが、次にバトンを繋げることができ本当に良かったです。
私自身の話になりますが、人数が少ないので会計・渉外等も掛け持ちしていたから、当時は相当辛かったです。よくある大学生の旅行三昧・遊び三昧・バイト三昧・飲み会三昧というものとは無縁で、ひたすらオリエンの大会のことをやっていて泣きそうでした。でも今思い返せば成功してよかったことの思い出が先行してくれるし、大会のおかげで私は次へのステップへ進むことができ、今の仕事にも繋がっています。
大事な思い出の一つです。また約30年歴史がある大会の中で女性の実行委員長が過去にいなくて、とても勇気が必要だったのですが、第28回を皮切りに29回大会も、30回大会も女性実行委員長になったのでとても嬉しく思います。
(実行委員長:伊東)

第29回大会 2006年10月29日 「土の里」 主管学年30期(04年入学)

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 2006年の筑波大大会では、同期10人という恵まれた代ということも有り、テレイン選定の段階で、「近場で白い、長く使われていくニューテレインを作る」という大きな目標が掲げられた。前年の夏休みには、栃木・茨城・千葉と数箇所に足を運びテレイン探しを行い、その内の一ヶ所である栃木県鹿沼市の里山が選定された。
この大会の調査で一番印象的だったのは春休みに0次調として行われたGPS調査である。調査宿がテレイン内という驚異的近さだったことやGPSレンタル料が日数により決まるということもあり、朝早くから夜遅くまで作業が行われた。特にGPSを背負う役・地図を持ちナビゲーションをする役の二人からなるGPS取得組は、交代制で一日中活動し、時には真っ暗な中携帯電話のライトを頼りにテレイン内から戻った事もあった。
 また、特筆すべきはこの時の調査宿で、安い調査宿が付近に見つからなかった為、地元の公民館脇、ゲートボール場内の休憩所が調査宿となった。休憩所というだけあって、畳張りはしてあったがプレハブ6畳くらいでまともなトイレもないものだった。そんな中に布団・寝袋とストーブを持ち込み、5・6人が7日間ぐらい泊まりこんだ。1次調査以降は0次調に比べるとはるかに良い宿泊施設が確保でき、人数が多かった事に加えて多くの先輩方が手伝ってくださった事により、比較的順調に調査を進める事が出来た。
 「良い地図・良いテレインの大会を開きたい。」この大会は、そんな動機で始まった。多くのティアに参加してもらい、かつ満足してもらうには、やはり地図とテレインが重要と考えたからだ。良い地図を作るためには何をすればいい?良いテレインって白いこと?地形が面白いこと?…そんなことをとことん話し合った。たくさんのテレイン候補にも足を運んだ。この準備期間前の準備があったから、いろいろテキトーになってしまったり、実行委員長がクソだったりしても、最後は大会がちゃんと開かれて「良い大会だったよ」と言ってもらえたのではないかと思う。
もちろん、事の始まりの話し合いだけで大会が開かれたわけではない。執行代、同期のみんなの働きがあったからこそ。その仕事に「こいつらすげぇ」と何度思わされたことか…。そんなメンバーとの運営の一員であったことを、今でも大切に思っている。
(実行委員長:千葉)
マスコットキャラクターの「ツッチー」は、「鹿」が「沼」につかっている様子を描いたものである。

第30回大会 2007年10月21日 「水元公園」 主管学年31期(05年入学)

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 第30回の節目となる本大会は東京都葛飾区にある水元公園で開催されました。公園で筑波大大会をやるというのは初めて(たぶん)ということもあり、開催前は「筑波には運営能力がなくなった」とか「やはり山でやるべきだ」とか否定的な意見も見受けられました。正直、私たち運営者自身にも公園の方が運営も楽だろうという消極的意識があったのも事実です。しかし実際渉外や地図作製において山とは異なった問題(区の管理が厳しい、園内に一般市民が多い等)が発生したことでそのような意識は改めさせられることになりました。普段何気なく参加している大会にも、それがどんなに小規模な大会でも、少なからず運営者には運営者なりの苦労や葛藤があるということを運営の主幹者になって初めて知ることができたのは私たちにとって大きな収穫だったと思います。
 なんか反省文みたいになりましたが、当日は爽やかな秋晴れで、野鳥観察とか表彰ぐだぐだとかトラブルもありましたが競技も無事成立してよかったよかった!当時現役生だった皆様、参加して下さったOBOGの皆様、どうもありがとうございました。


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Last-modified: 2021-12-30 (木) 03:41:06 (1008d)