第16回世界大学オリエンテーリング選手権大会報告書

高橋 雄哉
2005年度筑波大学大学卒
(統合以前は図書館情報大学在籍)


内容

  1. ユニバーを目指す
  2. 選考会まで
  3. 出国まで
  4. エストニアへ
  5. トレーニングキャンプ
  6. ユニバー本戦
  7. 今後

ユニバーを目指す

ちょうど2年前、スロバキアのユニバーに参加した。スロバキアはドリーネと呼ばれる凹地が多く、かつ岩も多い。日本では山口県でしか見たことがない地形だ。十分に対策は出来なかったが、その時にやれることはやって臨んだユニバー。結果は、スプリントはしっかり走りきれたおかげでトップ比約130%程度。ロング、リレーはつぼり過ぎてタイムを見る気にもならず。悔しいと思う気さえ起きなかった。ただ、漠然と2年後のユニバーに参加している自分のイメージだけは湧いていた。2年後には結果を残したい。ユニバー後、少しづつではあるがそう思っている自分がいた。

選考会まで

大学も無事卒業し、社会人1年目となる。その頃は仕事のこともあり、まだユニバーに行けるかどうかすら分からなかった。10月くらいまでは週末オリエンテーリングをし、平日は暇を見つけて走る。走行距離は月100km程度。

10月に勤務先が変更となり、職場が変わった。幸いなことに、新しい勤務先の人たちはオリエンテーリングに興味を示してくれ、遠征のことを相談したところ、「行って来い」の一言で後押しをしてくれた。その一言で、ようやくユニバーを本格的に目指すことを考えた。その時期が3月頃だっただろうか。スタートとしては遅いが、何の気兼ねもなく遠征に行けそうなので、やる気は十分。やはり職場の理解があると本当にありがたい。

意気揚々と臨んだ選考会。初日のスプリント予選でペナ。かなり動揺。一緒に選考会に参加していた同期のある男もペナる。2人で一緒に動揺していた。残すは次の日のミドルのみ。とにかくポスト番号は確認しろ。ペナらなければ通る。前日の夜にはそれだけを自分に言い聞かせ、就寝。寝つきは悪かった。

いよいよミドル当日。スタートから慎重に進む。ポスト番号は確認。チェックポイントを確実に通り、大きなミスをしないよう進む。途中パックされたりNT選手に抜かれたり、と心惑わされる時もあったが、自分のやるべきことをしっかりこなした結果、ユニバーの中ではトップで通過することが出来た。ただ、NTも含めた全体の中ではまだまだのタイム。さらにユニバー本戦ではさらに早いタイムで走る奴らが大勢いる。ようやく自分がスタート地点に立てたことを確認しつつ、ユニバー本戦までしっかりと準備することを自分に言い聞かせた。

出国まで

ユニバー出場が決まり、さあこれから!という時期に仕事が忙しくなる。4,5月は帰りが22時過ぎになることが当たり前、6月前半は家に帰れないこともあった。それもこれも住んでいる場所が筑波であり、職場が東京だったのが悪かったのだが(片道1時間半程度かかっていた)。早く引っ越せば良かったと思ったことをここに記しておく。

さて、出国までのトレーニングだが、走行距離は月100km程度がやっとであった。それ以上時間を割くと睡眠時間が取れず、逆に疲れが溜まってしまう。過去のユニバーの報告書で、無理に走ろうとして過労気味になった、というコメントを見たので、かなり割り切って、「走れる時に走る」と決めた。結果トレーニング量は減ったものの、体調は良く、週末の合宿も存分にメニューをこなすことができた。

しかしトレーニング不足は否めず、普段の大会でも6~7位程度の順位しか取れない。合宿でも満足行く走りができない。これには焦った。周りがどんどん速くなっているのに、現状維持がやっとな自分。ユニバー参加を諦めそうになることもあったが、それでもなんとか踏ん張り、空いた時間を見つけて出来ること(寝る前に地図を読んだり、出来るだけ階段を使って少しでも負荷をかけたり)を少しづづこなしていた。少しづつでも毎日続けることは自分にとって自信にもなったと思う。

エストニアへ

大会直前に日本を出発し、ユニバー開催地エストニアに向かう。エストニアは自分が初めて国際大会に出場した思い出の国。ユニバーへの参加を決めたのも、エストニアが開催国であったことが多分に影響している。アムステルダムで飛行機を乗り継ぎ、到着したエストニア。初めて訪れた時と雰囲気が変わっておらず安心するとともに、ようやくここまで来た、という実感があった。初めてエストニアに来たのが2003年。あれから5年。自分が何処まで成長したのかを試す機会がやってきた。

トレーニングキャンプ

現地では先にエストニア入りしていた他のユニバーメンバーが既におり、トレキャンで入った山について話し合っていた。2003年の時は全く自分の力が通じず、涙さえ見せていた人もいたのに、今回は皆笑っている。テレインにも十分対応できている人が多い。頼もしさを感じるとともに、早くテレインに入って走りたくなってきた。

トレキャンの地に到着した日に山に入る。地図で見るよりも視界が悪く、微地形も分かり辛い。ただ、スピードは出せないもののしっかり対応できる手ごたえをつかんだ。2003年よりも成長していることが実感でき、1人で山の中でニヤニヤしていた。

ユニバー本戦

スプリント

日本人男子の中でトップでスタート。十分にスピードにのることが出来、序盤からいきなりのビジュアルポストも無難にこなす。かなりテンポ良く進んでおり、先に出たアメリカの選手に追いつくことが出来た。自分のペースは速くはないものの、良いレースが出来ている手ごたえは掴んでいたので、「このまま走りきろう」と考えていた矢先、追いついたアメリカの選手に惑わされてしまい、ポストをスルーして隣ポに行ってしまう。なんとかリロケートした直後、1分後のドイツの選手に追いつかれてしまい、焦って自分の走りが出来なくなってしまった。その後はドイツの選手になんとかラスポ前までは喰らい付いたものの、最後に置いていかれてしまい、そのままゴール。かなり体は動いていたのも相まって、後味の悪い結果が残ってしまった。

ロング

1ポから吹っ飛びかけるものの、なんとかリロケートし1ポにたどり着く。その後は慎重に行こうとしたものの、地形と植生が分からず、ポスト前でうろつくミスを頻発する。また足場が悪く、倒木も多いため、前半のビジュアルポストまででかなりふらふらになってしまった。その後もミスが続く。ミスが多かったのは、なだらかな斜面に置かれた穴のポストや、ヤブくて平らな地形のピークのポスト。どちらも周囲に特徴物が乏しく、ピンポイントでポスト近くまで行かないと分からない。日本では殆ど体験できない課題が多く、ツボりにツボってゴール。ツボったのは残念だったが、それ以上にタフなコースでもあった。

リレー

1走でスタート。1ポに行くまでに凄いスピードで周囲が走り去ってしまい、その後はしばらく一人旅。確実に確実に、と心がけて進んでいると、先に出た選手を何人か拾うことが出来、着実に順位が上がっていることを実感。ただスプリントの時と同じく、追いついた後でミスが増え、結局23位でゴール。日本チームとしての順位は20位であった。

今後

トレーニング量が絶対的に足りていない。それは実感した。特に走ることと地図読み。思うように走りきれなかったし、地図もイメージ出来るほど読むことが出来なかった。

反省点は多いが、それ以上に得たものも大きい。2003年に初めて海外で刺激を受けた国でもう1度刺激を受けることが出来たのは収穫だった。ここからまた始めよう。

最後に、応援してくださった方々、チームメンバーの皆さんにはどれだけ感謝を述べても足りません。今後とも応援頂き、また共に競い合っていけたらと思います。本当にありがとうございました!


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