第15回世界大学オリエンテーリング選手権大会報告書

西尾 信寛
2003年度京都大学卒

ユニバー2006報告書


内容

  1. はじめに
  2. 練習方法
  3. 課題
  4. チーム作り
  5. スロバキアの森
  6. スロバキアの生活
  7. スロバキアのメシ
  8. ミドル
  9. リレー
  10. 総括

はじめに

ユニバー2006代表に決まってから、環境が劇的に変化した。 就職したことと、3ヶ月だけ実家を離れて一人暮らしをしたことである。 あと、資格試験の勉強を始めたこと。 練習、仕事、勉強と三つ巴の日々が始まったが、 それはそれでなかなか充実していて楽しかった。 ユニバーまでの4ヶ月、 まさに「駆け抜けた」という感じで月日が流れていった。 今思い返せばまるで夢のような感じだ。

さて、私のユニバー挑戦は2002年のブルガリア、2004年のチェコに続いて3度目となった。

ブルガリアではロングでペナ、チェコではロングでへばるもミドルで快走、リレーで戦犯になる、 という経験を経て、今回こそは飛び切りいい成績を出してやろうと意気込み、 個人種目は前回調子の良かったミドルに絞ることにした。 他の行きたい人々を差し置いて、 3度も行かしてもらうのだから、生半可な成績は残せない。

さらに、今回は最年長であり、チームの柱にならないと、という意識も心のどこかにあって、 「数字として納得できる成績」を残すのが使命であろうと最初から考えていた。

練習方法

平日は仕事。 夜にヘッドランプをつけてミドルを想定した40~60分のトレイルラン。 住んでいたところの近所にテレインがなかったので、その分は地図読みでカバー。 ただ、6月末は資格試験の追い込みで10日ほどほぼノートレーニング。 その間仕事先までの通勤ラン往復2キロのみ。 土日は合宿、またはレース。 合宿メニューは全部本気でやる。 どんなメニューでも全部1番になれ!と自分にプレッシャーをかけて臨んだ。 実際リレー選考レースは全部トップをとった。 これは自信になった。 3ヶ月間、このスケジュールの中に積極的休養を2週間に一度入れて体調を調整した。 しかし、東大大会、WOC選考レースなどでは振るわず、気分的に滅入った時もあった。 レース本番への体調のピーキングの難しさを感じたので、現地入りしてからのイメージトレーニングを行うようにして、気持ちの持って行き方を整理した。

課題

脱出。 脱出がすべてである。 その瞬間の動作、アタックからの一連の動き、リズム。 そこには音楽が存在する。 不協和音が生まれると、もうその瞬間からミスが始まっている。 実際のレースでも、パックになった直後の尾根切りの直後やラフ区間を過ぎてファインな手続きに移行する瞬間など、その先に何があるのかのイメージと自分自身の動き出しがいまいちかみ合わず、モタモタして時間をロスする、結局ツボる、といった場面が何度もあった。 これは、オリエンテーリングの最重要課題であり、最終奥義である。 これを極めれば、優勝できる。 だから、合宿のすべてのメニューでこれのみに課題を絞って臨むようにした。 体力は今までの蓄積で(ミドルを走る分には)ほぼ問題なしと考えた。

チームづくり

今回は自分が最年長ということもあり、ミーティングの進行役を担ったが、 自分のしたことはそれだけだ(時には要領が悪く話を混乱させてしまったこともあった)。 みんな最初は遠慮しつつも自分の本音をちゃんと言って、全員が納得できるまで話を白熱させることができたと思う。 何度も世界の舞台に立って毎度思うことだが、個人競技ゆえのチームの団結力の重要性を今回もひしひしと感じた。 ユニバーチーム独自の合宿はこの意味で大きな効果があると思うので、これからもぜひ独自合宿を続けて欲しいと思う。

さらに、合宿自体が純粋に楽しかった。 就職して仕事を始めたからかもしれないが、オリエンテーリングのみに集中できる時間の貴重さと心地良さを感じることができた。 同じ時間を共有して切磋琢磨したチームメンバーのみなさんに心から感謝したいと思う。

ただ、4月からの4ヶ月、ケガ人が多数出たことが残念だ。 レース中のケガだから仕方がないのだが、チームとしてもう少し心配りができる部分がなかっただろうか。 ひとこと「テーピング大丈夫?」とか「岩が下草に隠れているから気をつけて」とか、お互いに危険予知を周知しておけばよかったのではないかと思う。 あと、合宿のメニューであれ何であれ、意識を高めて本気で取り組むことが重要だと思う。 ちょっとした気の緩みが思わぬケガにつながることもある。 日本代表なのだから、日本代表としての誇りと強い意志を常に持つ必要がある。

スロバキアの森

「地面は固く、ガンガン走れる。 見通しも素晴らしく良い。 ただ、コンタ間隔が広い部分でのナヴィゲーションに自信をなくすと即どこにいるかわからなくなる。 相変わらず脱出からの一連のリズムに体が乗れるかどうかがカギである。 日本にいるときは高さと地形をもとにナヴィゲーションができたのでさほどコンパスを使わなかったが、 こちらでは一旦方向を誤るととんでもないところに行く可能性がある。 よりデリケートなコンパスワークが脱出時に求められる。」

以上がトレキャンとモデルイベントの印象。やはり課題は「コントロールへのアタックから始まる脱出動作のリズム感とその後の処理」だと感じた。

スロバキアの生活

海外遠征もJWOCに始まって何度目か知れず、生活自体は全くストレスのかかるものではなかった。 宿舎の雰囲気も全く予想通りであった。 気候も安定していて夕方や夜中にスコールがある以外は、日向は暑く、日陰は涼しい、というもので大変過ごしやすかった。 今回は徒歩すぐのところに大型ショッピングセンターがあったので何を買うにも重宝した。 水から食料から土産にいたるまですべて揃えた。 パンツも買った。

レース以外では他国の選手とコミュニケーションを図った。 今回は今まで以上に英語によるコミュニケーションを行ったので、知り合いがさらに増えた。 今までで最も多くの外人と話をすることができて、本当に良い経験になった。 文法なんてハチャメチャでいいから、とにかくしゃべってみるといいと思う。 世界が広がる。

スロバキアのメシ

寮のおばちゃんたちが作ってくれたので、特に問題はなかった。 満足する量を摂ることができた。 規定の食事に、アミノバイタルプロとパワージェルを組み合わせて体調を整えた。 あと、野菜の種類が少ない気がしたので、日本から持っていった野菜ジュースを期間中に数本飲んだ。 練習後はかならずすぐに水分とアミノバイタルを補給した。

ミドル

緊張した。 前半は体が全然動かず、登り基調のレッグにルートミスとアタックミスを連発した。 中盤から落ち着きを取り戻し、2位になったフランスのフェリペ・アダムスキと数レッグパック。 12の脱出で頭と指先の計2箇所を蜂に刺され、その激痛ぶりに集中力を失いかけたがここであきらめてなるものかと思ってさらにスピードを上げた。 しかし、フェリペには置いていかれる。 その後、ウクライナの選手と数レッグパックになるが、先にとられた17番以降力尽きて19番で約5分の現在地ロストをしてしまった。 結局、目標にしていた成績には程遠いものとなり、73位だった。 ゴール後は悔しさよりも虚しさが先行した。 3度目でこれか、と思うと本当にやるせなかった。 自分の期待通りの結果を残すのは本当に難しい。 でも、やっぱりそれに見合う努力しかしてこなかったということなのだろう、とユニバー後1ヶ月にして思う。 週末の合宿とレースだけでは限界がある。 毎日地図持ってコンパス持って「オリエンテーリングの練習」ができていた2004年の努力よりは明らかに見劣りがする。 今後、働きながらいかに「オリエンテーリングの練習」のメニューを組んで実践するかが新たな課題である。

では良い点はまったくなかったか、というとそうではない。 レーストータルの中の一部分ではあるが、前回、前々回にはなかった「アグレッシブさ」を数レッグで発揮することができたのが大きな収穫だった。 単にスピードが速いだけでなく、ナヴィゲーションがそれについて行っていたことが大切である。 この感覚を正確に説明するのは難しいが、そこには流れるようなリズム感が存在し、手続きに違和感無く体とスピードがマッチしている状態と言えるだろう。 これを極めると、さっきも書いたが、多分優勝できる。

リレー

また戦犯になってしまった。 1走の坂本がかなりいい感じで帰ってきてくれたので、自分も続くのだ、と思ったが、2番と6番で計十数分現在地ロストした。 出だしからリズム感が悪かった。 良い結果を意識するあまり、本来必要のない焦りがあったのだと思う。 手続きが完了する前に体が前に出ていた。 脱出の時点で必要な最小限の情報さえ拾わず、先を急いで行った先がどこかわからない、戻る、やり直す、という作業を繰り返した。 やればやるほど無限ループにはまって事態はさらに泥沼化した。 仕方が無いので深呼吸をして、もう一度地図と現地を見比べて、 落ち着いて考えたら自分がどんなミスを仕出かしていたのかようやく理解でき、その後はツボっても少しに抑えてゴールすることができた。

さて、チェコのリレーに続き失敗した原因は何だろう。 ひとえに、「気持ちの持ちよう」であろう。 いらぬ焦り、抜かれることの恐怖感、置いていかれることの恐怖感、「日本」の順位を決める重要な役割への使命感。 なんだ、全部ネガティブな考え方ばかりではないか。 ミドルの中盤で感じたような、アグレッシブなオリエンテーリングをするだけの気持ちの準備が整っていなかったからではないか。

もう少し余裕を持つにはどうすればいいのだろう。 チームメイトとともに、メンタル面ではどんな準備をすればいいだろう。 前日は何を考えればいいだろう。 何を食べればいいだろう。 どうすれば程よく疲れが抜けるだろう。 何を考えてスタートまでの時間を過ごせばいのだろう。 前走者がゴールレーンに現れたら、何を考えればいいのだろう。 そして、タッチしてレースが始まったら・・・。

すべて、次への課題である。

総括

今回のユニバーは失敗に終わった。 次への課題は上記のとおりである。 毎度思うことであるが、現状で優勝を口にすることはできない。 世界で勝ちたかったら、まずは北欧へ移住して完璧なオリエンテーリング環境を作ることがベストだと思う。 生涯の5分の1くらいをそれに捧げる覚悟で。 でも、今のところ私にはそれはできない。 非常にもどかしい気分であるが、もう少し日本で踏ん張ってみようと思う。 それは結局逃げなのかもしれないが、挑戦し続けることに変わりは無い。 学生という気楽な身分を離れ、社会人になった今後は競技に対する考え方も変わるだろうし、それについて悩む機会も増えるであろう。 今後は、ヒマだからトレーニングする、というわけにはいかないのである。 ヒマを見つけてトレーニングしないとどんどん衰えていく。 より自分に厳しく生きていかないと、アスリートとは言えない。

今回のユニバーは「口だけ」えらそうなことを言っておきながら、最後の詰めのところで甘さがあったと認識している。 それは特に気持ちの問題であると思う。 仕事で疲れたから、今日はいいや、という気持ちの甘さが、そっくりそのままミドルで最後にどツボったり、リレーでの現在地ロストにつながったのではないかと思う。 自分に対して非情なまでの厳しさを持って自分の尻を叩かないと、私の今後の成長はないと考える。 乞うご期待。

最後に、オフィシャルの尾上さん、合宿運営に奔走してくださった西脇さん、石澤さん、サポートしていただいたみなさん、チームメイトのみんな、激励をいただいた会社の上司、先輩方、色紙に応援メッセージの寄せ書きをくれた同期のみんな、そして、両親をはじめ、今回私の遠征をサポート、応援してくださったすべてのみなさんへ。 ありがとうございました。 この場をお借りして、感謝の言葉に代えさせていただきます。 なお、私の活動の報告など、下記のウェブサイトにて発信していきますので、そちらともども、今後もよろしくお願いいたします。


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