第15回世界大学オリエンテーリング選手権大会報告書

石山 佳代子
2005年度日本女子大学卒

WUOC2006を終えて


内容

  1. ユニバーを目指した理由
  2. 学生から社会人へ
  3. 怪我との戦い
  4. レースを終えて
  5. これからに向けて
  6. チームに対する要望
  7. 最後に

ユニバーを目指した理由

海外遠征への憧れは常にあり、大学3年になってからのユニバーを目指そうという意識を持っていたが、 強く意識するようになったのは4年の冬くらいからであった。 なぜならば社会人になるとインカレという大きな目標がなくなり、オリエンを競技的に続けるにはユニバーという目標が必要であったからだ。 また、ユニバーセレに落ちてしまったら競技的にオリエンを続けることに区切りをつけようと考えていた。 それくらい当時の私の中でユニバーは大きな挑戦であった。

学生から社会人へ

学生から社会人へ、実家から寮へと生活も環境も大きく変わり、初めの壁にぶつかった。 それは会社とオリエンテーリングとの両立である。 入社3ヶ月間は、新人研修でとてもタイトスケジュールなうえ、週末の強化合宿や大会で休む暇は殆んどなかった。 目の前のスケジュールをこなすことで精一杯、合宿でやったことも反省する余力もなく、 ただひらすらメニューを消化するだけで合宿の意味があるのかと疑問に思ったりもした。

忙しい毎日でも何とかトレーニングしなければという思いがありながらも、会社での研修で疲労困憊になり時間も確保できずに、 ユニバー前に全くトレーニングできない状況に葛藤する日々だった。 週末のオリエンにも集中できず、あんなに好きだったオリエンがどんどん嫌いになっていった。 『両立』の壁を強く意識すればするほどうまくいかずに一時期は本当にどん底をさまよい、マイナスに捉えては自分を責めた。

この時私を救ってくれたのは、周囲からの温かい言葉であり、たくさんの人に励まされた。 こんなに応援して気に掛けてくれる人がいるんだと思ったら自然と力が湧いた。

怪我との闘い

それまで蓄積された疲労がピークにきていた時期でもあった。 6/25の合宿中に右膝を強打してしまった。 それまで全く怪我をしてこなかった私は、すぐ治るだろうと軽く見ていた。 しかし、その晩に眠れないほど痛みと腫れが増し、これはマズイかもしれないと思い翌朝整形外科に飛び込んだ。 レントゲンの結果は骨には異常なし、全治2週間と診断されたのだが、とんだ誤診であった。

ユニバー直前で精神的に焦っていて、足を引きずりながら無理してプールに通ったが、不安になり宮本さんに診察してもらったところ、 膝蓋骨に若干のヒビが入っているかもしれないとのことだった。 その後きちんとレントゲンを撮って確認したわけではないが、あの痛みと腫れはきっと骨にまでいっていたと思う。 状況次第ではユニバー出場も諦めざるをえないかもしれないとの言葉にショックを隠せなかった。

会社とオリエンテーリングの狭間で悩み、極め付けに怪我・・・この時ユニバーへの気持ちが吹っ切れてしまった。 MLやプログラムも流し読み程度で、地図を見る意欲もない。 オリエンテーリングとしばらく離れたくなった。 とは言え、心のどこかでユニバーのことが引っかかっていたのだろうか、それからはとにかく怪我を治すことだけに専念した。 1カ月半の無運動期間を我慢した結果、ユニバーにかろうじて間に合わせることができたが、不安なまま出発の日を迎えた。

準備期間として、報告書にはトレーニング記録や方法などを書くのが普通なのだが、 そういった意味では今回の私のケースは役に立たない報告書となってしまった。 しかし、社会人となってユニバーを経験したことで、次回以降何らかのアドバイスができるかもしれない。 現状を受け入れつつも、一人で抱え込みすぎず、出来ることを見つけて地道になっていくことが必要である。

レースを終えて

ロングディスタンス

トレキャン中、二度ともカルストテラインにまるで対応できず、結局不安を払拭できないままロングに臨むことになってしまった。 また、怪我後初めての復帰レースが8.5kmという長丁場、足が持つかどうか分からなかった。

ロングの目標は、大きなミスをせず、走れなくとも一定のスピードで着実に回ってくることであった。 しかし、3→4で確信のないまま進んでしまい現在地ロスト。 32分かかってしまった。 実際はすぐ近くをうろうろしていたのだが、自信が持てずに焦って全く気付くことができなかった。 通り過ぎる男子選手に聞こうとも思ったが、海外に来てまで自分は何をやっているのだろうと思い直し、自力で探すことにした。 結局、後から来たハンガリーの女子選手にパックしてようやく4ポを取ることができた。 その後はとにかくヘマをしないように、心を切り替えた。 大きなミスはしなくても、小さなミスの連続、脱出・手続きの遅さ、走るスピード、山の中で会う海外選手との圧倒的な違いを見せ付けられた。 それでも今の自分のレベルを受け入れ最後まで走り切った。

ミドルディスタンス

「昨日の失敗を繰り返さない」ミドルでの目標は、ロングとは違いスピード感を持って頭を使い、メリハリのあるナビゲーションをすることであった。 スピード感を持ってと言っても、復帰まもない体では高が知れているが、精一杯やることに意義があると思った。 2→3で早くも2分後の選手に追いつかれるも気にせず、時に利用しつつ自分のルートで行った。 最も大きなミスは7→8のレッグでプランは道で引っ張る予定であったが、7ポの脱出時点で2分前の選手に追いつき、 油断したのか道に乗れず現在地ロスト。 他人を意識しすぎたメンタル面での弱さが出てしまった。 他の女子選手にパックしようとしたが止めて、うろうろと走り回った。 しかしどうしても分からなかったので、次に現れた女子選手にパックし、8ポを取ることができた。 最初はパックしてポストを取ることに抵抗があったが、どうしても分からない場合はパックすることも一つの手であると思った。

これからに向けて

世界を見たらもっと強い衝撃を受けるのかと思っていたが、案外あっさりと終わってしまったように感じる。 それは、ユニバーまでの過程にあると思う。 今回は怪我により1カ月半もの間運動そのものから遠ざかり、モチベーションも低く、 はっきり言ってこんな自分が日本代表として行っていいのだろうかと思った。 それまでの準備や想いがしっかりしたものであれば、もっと違った感情を抱いたかもしれない。 しかし、怪我なく順調にやってこられた今までとは全く異なる状況を経て学んだことも多い。 今回は自分のパフォーマンスを出して、結果につなげるのではなく、海外選手の走りから学び、 吸収して自分を変えていく材料を持ち帰ろうと考えていた。 女子でキロ7分の世界、とにかく速く走るオリエンテーリングでなければ歯が立たないと思った。

ユニバーが終わったら競技に一区切りつけようと思ったこともあったが、率直にもっと世界と戦えるレベルになりたいと思った。 特にリレーに関して、改めてリレーでメンバーと喜び合うのはこの上ない幸せだなと感じたので、 リレーメンバーとして貢献できればというのが遠い(?)目標である。 個人戦に関しては、世界レベルで自分が競れているという感覚を目指したい。 それにはスピード、体力、技術力、経験・・・今の私にないものを総合的に上げていく必要がある。 どこまでできるか分からないが、今は挑戦したい気持ちになっている。 そして、今回のユニバーメンバーとはこれからも良きライバルとして切磋琢磨しお互いの刺激になっていければと思う。

チームに対する要望

今回ユニバーチームには全体を通してのコーチが存在しなかった。 特に苦労したのはリレーメンバーの選出方法である。 選手間だと、どうしても遠慮したり本音が言いにくかったりするので、 そうした場面で第三者として的確な意見を言ってくれる経験豊富な方が必要であると感じた。

最後に

合宿の運営やエントリーなどの手続きを一手に引き受けて下さった加賀屋さん、西脇さん、 合宿メニューを組んでくれたロブさん、怪我のアドバイスをくれた宮本さん、樋口さん、現地で全て取り仕切ってくれた尾上さん、 その他支えて下さった多くの方々に・・・本当にありがとうございました。


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