第13回世界大学オリエンテーリング選手権大会報告書

新宅 有太
2003年度京都大学卒

報告書


内容

  1. 代表になるまで
  2. ブルガリア入りまで
  3. ブルガリアで
  4. 今後のことについて
  5. 雑感

1.代表になるまで

ユニバーに出たい、と思うようになったのは昨年(2001年)の夏の北欧遠征のときからだった。ただ、その気持ちは漠然としたもので世界で戦うために準備したことはなかった。1月から4月14日までひざのけがで走れなかったため、それまでは選考会は欠場でもよいと考えていた。選考会2週間前に走れるようになったので、選考会にはなかばリハビリのつもりでレース勘を取り戻すことを意識して臨んだ。それがレース内容的にまずまずで、順位こそ10位だったが今後の伸びを期待されて推薦で代表に選ばれた。伸びるべきところは第1にスピードであった。

2.ブルガリア入りまで

強化は2週間に1度合宿を行う、という形で行われたが、参加した4回の合宿と東大大会のいずれでも自分のいいときの感覚で走りきれたときはなかった。というのも、走れるようになってから、急に月間300kmペースで走っていたことや大会運営で仕事を抱え充分な睡眠を取れない生活を送っていたため、疲れをどんどんとため込み、ついに6月15、16日の群馬合宿で100mさえ走りきれないくらいに全く走れなくなってしまったのだ。

その後は走ることをやめてたまに体をほぐす程度のジョグをし、ストレッチと風呂でのマッサージをしていた。さらに銭湯での交代浴、針とマッサージでの治療と試みたが完全にはよくならなかった。

結局課題であったスピードをつけるためのトレーニングは全くできず、選考会のときの状態程度にさえ戻せずに旅立つことになった。

ちなみに今回はクラッシックを走るメンバー5人を7月の富士合宿で決めていた。僕が外れたのだが、この早めの決定はよかったと思っている。そうすることで心の準備、体の準備ともにしっかりとできると思われるためだ。

出発が8月8日で9日から14日までスイスでのNTのトレーニングに参加した。日本を離れれば精神的な面で走れるようになるさ、と思っていた。実際トレーニング初日の10日は足が軽く、2日目もいつになく力強く走れていた。しかし3日目あたりから疲れが見え始め4日目には日本にいたときの状態に戻ってしまった。原因は雨のせいで走る前後のケアが充分でなかったためだともいえる。壊れた足が回復しきっていなかったこともあげられるのだが。

そして体調も、朝起きると布団がベッドの下に落ちていて体を冷やして寝ていたことがあって14日の朝のどが痛かった。

この状態でブルガリア入りした。

3.ブルガリアで

a.トレーニングに関して

15日から17日まで3日間トレーニングをした。初日はテラインの感じをつかむためゆっくりやったが、そのスピードが実は今のベストのスピードだと思われるくらい体に余裕がなかった。どこか気合いが足りない面もあったが、体を動かすのに必要な気力があまりに必要なため長時間納得のいくパフォーマンスを維持することが困難であった。16日は3年前のJWOCのショートの予選コースを走った。約5kmのコースで、途中まではミスのないメリハリが利いた内容で技術的にはほぼ完璧だったが、3.5kmあたりで体が動かなくなってしまった。この時点で走りきれるのか、という恐怖感との戦いが始まった。翌17日はベガンカップというレースに参加した。前日よりも早い段階で体にブレーキがかかり約10kmのコースをショートカットして7kmほどで終えた。内容的にも緊張感がなくあいまいなレースをしてしまった。とにかくショートの予選が走りきれるくらいには体を回復させなければ、と思い、18,19日とトレーニングを休むことにした。市内観光やビーチに泳ぎに行くなどリラックスした時間が過ごせたが、この休みで緊張感が解けてしまったのか、モデルイベントの日である20日の朝、腹痛と38.6度の発熱で寝込んでしまった。1日中ベッドの中でうごめいていた。夕食をしっかりとり薬を飲んで寝たことで翌21日には36.9度に熱が下がり、普通の生活は送れるようになった。クラッシックから外れていたことで結果的に1日休めた。

b.レースに関して

22日はショートの予選だった。午後のレースということもあり、いける気がしていたがまだ頭が痛くふらふらしていた。コースは簡単だったが、5分弱のミスと巡行速度が塩田さんに振り切られるほど遅かったことでトップの190%程度のレースだった。なんとか走りきれはしたが、病み上がりということでトップスピードからははるかに遠いスピードでのことだった。

23日のショートBファイナルは、体調はかなり程度回復していたが、動作一つ一つが実行しきれていなくて浮ついた内容で、そんな中1年ぶりに10分以上のコンプリートロストをして頭が変になりそうになり、走る気力を無くし、消化レースになった。自分の精神面の弱さとレースに臨む心構えができていなかったことを反省した。

24日のリレーはMIXの2走だった。ちなみにリレーの選手は、ショートファイナルまでを見て決めた。テラインがフラットでオープンエリアが多く見通しが利いたこともあり、スピードを除いていいレースができたといえる。確かに1つ大きなミスをし、少しずつのロスを感じてはいたが、それをシビアに減らす体の自由と心の自由が機能しなかった。自己満足として気持ちよく終われたに過ぎない。

c.生活に関して

食事、睡眠、洗濯、シャワー、どれも満足度は低かったが、それらをストレスに感じ文句をいう対象にしていたのは精神面にマイナスだった。いつもはその今ある生活を受け入れるよう努められるのに、今回は日本での生活のようにいかないことに怒りをぶつけていて、自分にしては珍しいことだった。きっと気持ちよく走れていなかったため精神的に不安定だったのだと思う。

人間関係については、やりにくいと思うことは全くなく、何かあれば話し掛けに行って自分の精神状態をよく保てるようにできていたし、必要以上に干渉されることはなく(していたかもしれないが)うまくいっていた。反省点は、男子の間でお互いにマッサージをし合えず加賀屋さん1人に負担をかけさせてしまい、毎日のように充分なマッサージを受けることはできなかったことだ。スイスにいるときに、宮内さんから「お互いにマッサージし合えると楽だから」と言われて習ったにもかかわらず実践できなかったのがもったいなかった。日本での合宿のときから習慣化しなければいけないことだと思う。マッサージに限らず、体のケアは自分で把握していることと同時にチームで互いに把握しあい、精神面も含めてチーム全体でサポートできることが理想である。その点ではコミュニケーション不足があったことは否めない。

4.今後のことについて

自分の知っているいいときの走りができない4ヶ月を送り、何もできないまま今に至ってしまったことが悔しいし、自分の体をコントロールできないことにいらだっている。このままではユニバーでだめになった選手になる。そんなことは許せないし、だめになって終わるつもりはない。

今回の代表になったたった一つの成果は、世界で戦えるようになりたいと思え、そのためにどうすればよいのかを真剣に考えられるようになったことだ。レースの結果としては、何でこんなやつを選んだのだ、という批判があっておかしくないものだったし、多くの人を失望させたはずだ。だから2年後のチェコでのユニバーで今回の悔しさを晴らせるよう長い目でみてワールドクラスに自分を育てようと思っている。そのためには計画的にトレーニング計画を立てる必要がある。もちろんライバルたちと学生日本一を賭けて競うインカレは勝ちたいレースであり大きな目標だが、その先にある世界の舞台が今の僕には見えている。

5.雑感

表彰式などを見ていると、日本のインカレと何ら変わらないな、と思った。そう、ユニバーは『世界のインカレ』なのだ。しかし競技レベル的に競うところまでいけていない。それが悔しい。日本のインカレのようにユニバーの表彰台でもばかやりたい。

英会話力も必要だ。確かにバンケットのとき何人かと普通に会話をすることはできたし、悲観すべきことではないが、より積極的になるにはもう少し自信が欲しいところだ。

次回はバンケット用に梅酒を忘れないようにしようとも思った。

最後になりましたが、オフィシャルとして全てをサポートしてくださった加賀屋さん、寿理さん、尾上さん、エントリーなど現地とのコンタクトをしてくださった羽鳥さん、トレーニングパートナーになってくださった皆さん、本当にありがとうございました。


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