第13回世界大学オリエンテーリング選手権大会報告書

西尾 信寛
2003年度京都大学卒

報告書


内容

  1. ユニバーに向けて
  2. 本番への準備
  3. トレーニングキャンプ
  4. クラシック
  5. ショート予選
  6. ショート決勝
  7. リレー
  8. 反省、回想
  9. 今後

ユニバーが終わった。自分の過去・未来、そして日本代表として世界で戦う未来のユニバー戦士のために、私が経験したユニバーについて、ここに記す。

ユニバーに向けて

4月末、ユニバーセレに通過したことからすべては始まった。本来ならばそれ以前からユニバーに向けてのビジョンを考え、長期間の準備期間を必要とすべきではあるが、当時の自分には体力面が未完成であり、4ヶ月でどこまで改善できるかは全く未知であった。しかし、ユニバーという大目標ができたことで精神的に非常に充実した毎日を送ることになり、本番に向けての具体的な目標を見つけることはそれほど難しいことではなかったように思える。過去のユニバー報告書やJWOC99の報告書からユニバーそのものとブルガリアテレインに関する情報を得、自分なりのユニバー本番を見据えたプランを立てることができたと思う。次にその準備の方法を示す。

本番への準備

まず一番の課題は体力であった。他のチームメンバーに比べて自分は明らかに体力、走力面で劣っており、早急にこれを改善する必要があった。4月のセレクションまでは月間200km以上の距離を走ったことがなく、またトレメニューも変則的で適当であったため、長丁場のレースに耐え得るための基本的な体力をつけようと考えた。月間走行距離の目標を200km以上、トレの内容を規則的なもの(OL/jog/L.S.D/トレイルラン/ペース走…etc…)にし、それらを休息も取り入れつつ1週間ごとのプランの中で織り交ぜて行うように心がけた。自室のドアに模造紙を貼り付けて走行距離表にし、毎日欠かさず書き込むように習慣付け、トレのペースを作った。

また技術面に関しては合宿中のメニューで磨きをかけ、特に基本的な動作の修練に取り組むようにし、毎回の合宿で「直進」、「脱出方向の確認」、「アタックポイントからのアプローチ」など課題を持ってメニューに臨むようにした。さらに、地図読みを通して現地の様子、選手権の様子、スタートに立つ瞬間、などのイメージトレーニングを行うことにより、日を追うごとに本番に対する意識を高めていった。

これらを通して、ユニバー本番を迎えるに至るまで約4ヶ月、精神的に大変充実した毎日を送って来ることができたと私は自負している。その間OL以外のことに時間を取られることもあったが、ユニバーが楽しみで仕方がなかったので、それを糧になんとか切り抜けることができた。

トレーニングキャンプ

トレキャンにはかなり早めに入り、ブルガリアテレインに慣れることを目標にした。第一印象は「日本とそう変わらない」というものだったが、様々なタイプのテレインに入るにつれ、走りすぎて現在地ロスト、という失敗をすることが多くなり、方向維持の感覚をつかむのが鍵であるように思えた。あたりまえのことなのだが基本的な動作の徹底が必要で、それができないと結果的に大きくはずしてしまう、ということがわかった。平らな部分は本当にまっ平らであるが、大きな亀裂の沢の中に入ると変化に富んだ地形が現れる。また見通しのきくエリアからそうでないエリアへ突入する時の方向維持の仕方など見つかった課題は少なからずあった。それらを踏まえた上でモデルイベントに臨み、翌日からの本番に備えることにした。

クラシック

クラシックは14kmあり、とりあえず前半はペースを上げずに行こうと考えスタートしたら、いきなり1番からわからなくなり、その後もペースの上がらないままつまらないミスを連発し、おまけにラス前で女子ポストをミスパンチしてペナという最悪の形でレースを終えた。終始巡行速度は遅く、紺野さんが100分台で終えたレースを+40分もかけてまわった挙句失格という不甲斐ない内容に情けない思いでいっぱいになった。やはり14kmのレースができるほどの体力は自分に身についていなかったのだと思う。最初から体が動かなかったのも、学生ながら世界選手権であるという雰囲気に気圧されていた部分もあったかもしれない。もったいないことをした。レースに対する準備の仕方を根本から考えねばなるまい。

ショート予選

前日のレース内容の悪さに奮起し、ショート予選は思い切り走ることができた。体も良く動いた。しかし、トレキャン中にやっていたような「走りすぎて現在地ロスト」をやってしまった。山の中のスピードが自分の思うベストに近い内容のものが維持できていただけに、基本的な動作のミスによるタイムロスは非常にもったいなく、口惜しいものであった。同時に窮地に追い込まれた場面でのメンタルタフネスの必要性をあらためて感じさせられたレースとなった。しかし、クラシックの時と比べてコンペティションそのものへの緊張はなくなり、いい状態でレースに臨むことができたのは1つの大きな収穫であったと思っている。日本人が男女合わせて3人A-Finalへと駒を進めることになった。「オレもいつかあの舞台に立ってやるんだ。」

ショート決勝

予選での失敗があったので、プランニングをしっかりしてから動き出す、という目標を持ってスタートしたが、ヤブの中で方向維持を怠り、2度の大ツボリをした。予選とは打って変わって攻めの気持ちが失せており、レースに対するモチベーションが少し下がっていたように思う。これではいけない、これではいけない、と思うことでますます弱気になり、集中力の持続ができていなかった。海岸がゴールだったのでゴールレーンに駆け込む直前でノルウェーをひとり抜いて見せ場を作ったが、それだけに終わってしまった。「自分はぶっ飛びOLをしており、ラインを発見してそれを辿るという流れるようなオリエンテーリングができていない。明日は止まろう。」という教訓を得た。そして、「攻め」の気持ちを忘れずに。

リレー

リレーはメンバーから外れ、急遽ミックスチームで1走を務めることになった。正規で走れないのは不本意だったが、世界のトップレベルと競り合うことができるのは(今の日本チームのレベルでは)1走だけの醍醐味だ、ということでいろいろと観察してやろうと思い、楽しみにしていた。レースの目標は「止まって地図を読む」。1ポはヤブの中にあり、多くのチームが失敗しているのを見学しつつ慎重にパンチし、2ポまでブルガリアのニコライ君にパックした。その後は完全に一人旅。Stop&Goでコツコツと基本的な動作を繰り返しながら走り、よし、いいぞ!と自分に言い聞かせてビジュアルポストを取り、砂漠地帯をこなし、ゴールに駆け込んだ。新宅にタッチ。

多少失敗したものの、最後にはなんとか納得の行くレース展開ができたと思う。ロシアやハンガリーなども失敗していて、特にハンガリーとは後半数回のレッグで競り、最後は置いていかれたもののしばらく先行したこともあったので、少し自信になった。

反省、回想

今回は2度目の代表であり、準備の面では自分の目標とするものがはっきりと見えていたので満足の行く準備をしたつもりだ。しかし、それは間に合わせの準備にしか過ぎず、やはりクラシックやショートの決勝でメンタル面での弱さを露呈した。まずフィジカルあり、してメンタルを強化すべし。代表たるもの1年以上の長期的なプランで本番に備えるべきだと思う。

以上がユニバーのレースの反省であるが、レース以外でも遠征生活の中で様々なエピソードがある。それらひとつひとつは私にとってかけがえのない宝であり、忘れられない記憶のカケラたちである。ブルガリア入りする前にチェコの大会に参加したこと、トレキャン中毎日ビーチへ泳ぎに行ったこと、トップレスのお姉さんがいてコーフンしたこと、実は風邪を引いてしまったこと、物価が安かったこと、右ハンドルのMT車を運転したこと、某B嬢を代表に日本語のおかしい人が増えてしまったこと、誕生日をみんなが祝ってくれたこと、スイスチームの監督とビーチで話をして名刺をもらったこと、スイスの女の子とトリムを交換したこと、バンケットで踊りまくったこと、ラスポ~ゴールの鬼のような走りを注目してくれていた奴がいたこと…。2度目にも関わらずはしゃいでいたこと。

それもこれも、自分がしてきた様々な経験は、私を支えてくださったすべての方々のサポートあってこそだと思う。感謝。特に、セレ後からユニバー期間中に至るまで親身になって面倒を見てくださった加賀屋夫妻と尾上さんには本当に感謝しています。ありがとうございました。また、ユニバー2002のメンバーの皆さん、月2度の合宿でサポートしていただいた皆さん、4ヶ月間高い意識を持った中で皆さんとともに準備をすることができて大変刺激になり、ここまで来ることができました。準備段階から本番まで、すべてを通して満足の行くサポート体制が構築されていたと思います。本当にありがとうございました。そして、これからもよろしく。

今後

未来がある限り、走りつづけたいと思う。情熱は留まるところを知らず。再び世界の舞台で戦う日を夢見て。


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