第12回世界大学オリエンテーリング選手権大会報告書

伊藤 恭子
年度大学卒

報告書


内容

  1. 事前準備に関して
  2. トレキャンの仕上がり
  3. ユニバーの反省
  4. ユニバーからまなんだこと

事前準備に関して

セレクションのあった4月の時点からすでに体力の砥下を感じていたが、その後の生活の不安定さ(2ヶ月の共同生活、1ヶ月のホテル暮らし)という環境の変化により、トレーニングは全く不規則で不充分であった。私の場合、ストレスをためこみやすいので、精神的にも不安定になっていた。

特に5月6月頃はユニバー合宿に行くたびに体力の低下とオリエンテーリングの下手さを思い知り、うまく行かないことに対していらいらし、それまで溜め込んでいたストレスが爆発してしまったこともある。常に、トレーニングをしなければという気持ちと、サボってしまったときの罪悪感にさいなまれ、仕事とトレーニングの両方でのストレスを抱え込み、気が狂いそうだった。それは実際体の様々な部分に影響を及ぼしていた。

それでも関西にいる問には寺嶋さんの計らいにより、近場の大会に参加したり、ホテル暮らしの間はできるときは階段のぼりをしたり、筋トレはかかさず行っていた。しかし、走ることは週末にしかできなかったため、体はどんどん鈍っていった。7,8月の走行距離はおそらく60キロ前後だろう。食生活の面でも、コンビニ通いのせいで野菜不足だった。しかしこれほどまでに仕事とトレーニングの両立が難しいとは思っていなかった。仕事との両立をするために、私は周りにアピールすることは大事だと思う。そうすることで周りの理解を得ることができたし、多少そういう環境も作ることができたからだ。しかしトレーニングを続けるには強い意思が必要である。また達成したいと思う目標も必要なのだろう。その点でユニバーは難しい。

私自身、しばらくのうち、ユニバーは仕事をしていく中で、オリエンテーリングと私とをつなぎとめてくれるものだった。ユニバーで一体何を目標としていいのか、見当がつかなかったのだ。JWOCの頃と比べて少しは成長した自分がどの程度のものなのか、ユニバーで確かめることによって2001年の世界選手権の目安としたいと考えた。しかしこのようなあいまいな目的意識では、日々の生活に押し流されてしまうだけだった。そうした中で、2005年の世界選手権開催が決まり、それは私にとってインカレに代わる、かなえたいと願う夢となり、遠くはあるが目標となった。(多分に落合夫妻の影響もある)。日本代表として世界に通用するような選手になりたい。(単純だが)。5年という期間は体を作り直してオリエンテーリングを上達させるためには必要な時間かもしれないと恩った。

そうなるとユニバーは数少ない高いレべルでの国際大会であり、5年後を目指すにあたって己の現状を知るすばらしい機会になる。第一歩となる。ユニバーで何かをつかんできてやろうという気持ちは、ユニバー期間中のモチベーションを維持し続けたとおもう。

トレキャンの仕上がり

トレキャンにあたって立てた課題は二つ。まず1cmから1.5cm程度の直進を確実にできるようにすること。次に道を使うルートとそうでないルート、どちらが速いかを確認すること、である。これらは事前に配られていたフランスの地図から設定したものである。

トレキャン初日、2日目あたりは旅の疲れと体のなまりで全くピリッとしなかったが、日を追って体は動くようになった。地形は大雑把でのっぺりしているが、そこを無数に走る小径をつなぐことがとても難しかった。かといって慎重になるともたついた感じになる。また道ばかり意識していると地形への意識が希薄になる。そのため、トレキャンでの私のタイムは良くもなく悪くもなくといったものであった。さらに重要なのはAPの設定であった。ポスト付近にまでは行けるのだが、そこでうろうろしてしまうことが多く、それがタイムの伸びない大きな原因でもあった。確実なAPの設定をし、そこからはイメージ、コンパスセット、歩測を必ずすることが課題となった。

トレキャン中の生活面においては、2時間に及ぶ食事が自分にとってすごく負担になっていた。リラックスしながらの食事が理想的だと思う。また、食事の量も白分で加滅してとるべきだった。トレキャンを終わった時点で太ってしまった。

トレーニング不足ということはわかっていたし、もうどうしようもないことなので、その中で自分のできることをしていこう、そう割り切っていたつもりだったが、実際に走ってみると、体力切れからくる集中力のなさ、体力さえあれば…という場面も多く、どうしようもないってわかっているけど、そう恩わずにいられなかった。そうしたいらいらと、さまざまなストレスが重なって、コーチに相談することもあった。ただでさえ慣れない海外での生活で、大事な大会を控えているとなると、'精神的にも不安定(ピリピリ)になる選手も多いだろうが、あくまでも目的はユニバーで結果を残すことなので、自分が最適と思える環境作りも自己の責任で行わなければならないし、お互いに迷惑をかけないように動きたいものだ。

ユニバーの反省

モデルイベントでは全く自信を失った但嵐の影響で、テラインには倒木が多かったため、思う方向に進めないし、表記の基準がよくわからず、不安を感じたが、わかるもので確実につないでいくしかないと思った。モデルイベントでは主に何がどう表現されているか、使えるものは何なのかを確認した。やはり確実なアタックポイントの設定とそこからの正確なアタックが求められる。それから、今にして思えぱ、切り開きがどの程度使えるかを見ておけばよかったと思う。

クラシック

私はクラシックよりショートの方が得意だったし、体力的に走りきれるのはショートだったので、目標はショート予選通過であった。体も疲れていたので、クラシックを走らないという選択もあったが、山の様子もみたかったということもあり、一つ一つの手続きを確実にこなしていくことを課題にして走ることにした。

アップを十分にして、額に集中を集める。戦闘モードに入る。これまでの経験から、これができていないとだめなのである。スタート前には松澤さんが言っていたように、逃げ出したくなるほどの緊張感に襲われていた。でもスタ・一トしてからは、周りに流されることなく、自分のぺ一スでレースできていたと思う。自分がおそいのはわかっているので、あせりはなく、いかにしてミスを抑えて確実にポストにたどり着くかを考えた。止まるべきところで止まれていたので、必要な手続き(イメージする、コンパスセットする、歩測する)ができ、周りもよく見えていたので現地との対応も容易だった。気持ちいいほど直進があたり、後半ばてたが大きなミスなく終えることができた。タイムは7.8kmに対して84分ということで、それほどいいタイムではなかったが、感触としては良いものであった。

ショート

ショートは3組に分かれていて、20人/組中13人予選通過ということを聞き、クラシックの感触からしてこれなら本当にいけるかもしれないと恩った。クラシックは体力切れということもあったが、ショートなら最後まで走りきれる。

この日以降、腹の調子が頗る悪く、走ると痛くて気になっていたが、スピードを出しすぎないでいいからちょうどいいと考えることにした。村越さんが「これは八ヶ岳のショートインカレだと思え」と言ったので、そのイメージでアップをしていた。結局、インカレではすでに覚悟は決まっていて、今できることをするしかないのである。

地図を見ればわかると思うが、このテラインは平らで単純、特徴物もあまりない。跨路することなく思い切った直進ができたことが予選通過できた勝因だろう。確信をもって直進できたのは、これまでの自信だし、気合の差だろうか。地形と地図が単純だったために、苦手な地図読みの必要がなかったためにロスが少なくてすんだためでもある。

翌日の決勝では、少しあせっていただろうし、また体の疲れもあったと思うが、2番へのプランニングと現在地の対応がいいかげんになり、下りすぎていたのに気づかず、ポストのすぐそばをスルーしてコンタ3本くらい下ってしまった。それから緊張の糸が切れ、体も一気に重くなってしまった。慎重な地図読みとアタックが要求されていたので、自然とスピードも落ちてしまう。ショートの予選と決勝を通して、基本的なことはある程度できているが、より正確な地図読みと精度という点ではかなり未熟であることがよくわかり、今後の課題となった。また、私は本当に決勝に出たいと思っていたし、それがかなえられる程度の適度な目標と思えたところが他の女子選手との違いだったのではないだろうか。

リレー

ショートが終わった時点で、次の日の準備もせず寝てしまったほど疲れきっていた。私は2走を務める事となったが、信じられないほどの大ブレーキ、しかももっともやってはならないペナまでしてしまった。体力の限界だった。スタートして問もなくから、苦しくて何をやっているんだかわからない状態だった。前半は特に、ポストにたどり着く気がしなくて本当に怖かった。つまり、目的地のイメージができないし、どうやっていったらいいか冷静に考えられなくなっていた。

ユニバーからまなんだこと

体力のなさを言い訳にするのは、自分がトレーニングをしていなかったといっているようなものなので大変恥ずかしいが、社会人になり、これまでとは全く違う環境で満足にトレーニングを行うことは、本当に難しいことである。今後ユニバーに出場する杜会人1.2年目の人たちも、おそらくつらい思いをすると思うが、やはり、体力がなかったらやれることもできないのである。がんばってほしい。

ショート決勝進出という結果によって、今後のユニバーに出場する人たちにとって、現実的にイメージしやすい、ちょう度よい目安ができたと恩う。その点では、大変よかったと思っている。もちろん、決勝でいい内容のレースをしたかったので、満足していないが。

外国選手と走ってみて、やはり大きな差を感じるのはアタックポイントからのスムーズさである。ポスト付近のイメージがしっかりしているのだろうし、例えば岩ならそのどこにあるかもきちんと確認している。また、足場の悪い岩石地帯、倒木地帯などでのトレーニングが不足している。ここでもたついているとあっという間に引き離されてしまう。トレーニングの理想としては不整地走だが、夜走る場合は難しいので、大会などに参加したときにそういう走りにくいところもがんばってはしるように意識することで、少しは良くなるのではないかと思った。

私は普段から体のケアをしていなかったが、自分の体調を管理したり、体を手入れすることは選手として当然の仕事であるとわかった。今回は村越コーチが一人で全員のマッサージを行っていた。私もやってもらえるからいいやと湿布程度のケアしかしていなかったが、4日間これだけのハードな日程をこなすためには、山口さんのように氷で冷やすなどの体のケア、また睡眠を十分取る、食事のバランスに気をつけるなどの生活面での管理も必要である。

その他、ユニバーでの反省を活かし、来年の世界選手権に向けてトレーニングをはじめたいと思う。


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