富士テラインガイド


「不二丸尾」 「ふじ」 「逆杉」 「表富士一合目」 「奇跡の森」 「北山」
「七色石」(桑崎) 「雨降山物語」 「村山口登山道」
「富士裾野東鞍骨」 「角木沢」 「奇跡」 「勢子辻」 「砂沢」


オープンとなっている地図の購入・質問などについては下記にお問い合わせください。

◆静岡県OL協会版権の地図>>静岡県OL協会
◆静大OLC版権の地図 >>静大OLCのHP(informationの販売地図の項を参照ください。)




「不二丸尾」

作成年月日1988年
サイズ・縮尺B4横・1:15000
版権静岡県OL協会
利用可否クローズ

昭和63年6月の公認富士丸火大会のテライン。昭和60年11月の東日本大会「大渕丸尾」のリメイクである。
少年自然の家側の道を挟んで東側と西側とに2分されるが、東部分と西部分とで様子が異なる。
西部分は、「ふじ」「逆杉」と一部重複しており、南側に隣接する「七色石」とほぼ同様の大局観に富んだ?
地形が広がっている。西側部分は他地図において近年までオープンであったのに対して、
東部分は約10年以上に渡り、クローズされてきた範囲であり、今回の全日本大会においても
メインとなる部分であることは間違いない。
プロマッパー、ロブ氏によりどのような地図に生まれ変わるのか要チェックである。
(書きたいことはたくさんあるのですが続きは後日、競技情報の項のほうに譲ります・・・。)
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「ふじ」

作成年月日1992年
サイズ・縮尺A3横・1:15000
版権静岡県OL協会
利用可否クローズ

平成4年5月のAPOC'92の1日目、2日目で使用されたテラインである。
南の一部が「不二丸尾」「逆杉」、西側の一部が富士愛鷹(現「雨降山物語」)と重複している。
田中徹・西尾孝夫・村越真・山川克則・山岸倫也という調査者の顔ぶれからもわかるとおり
当時の日本OL界ではBESTMAPといっても過言ではないほどの精度を誇った。
広大な範囲に抜群の植生と微地形が存在している。
この地図の東の一部分は「勢子辻」の一部と重複しており、「勢子辻」に
含まれる範囲については、特にクローズの規制はない。

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「逆杉」

作成年月日1993年
サイズ・縮尺B4横・1:15000
版権静大OLC
利用可否クローズ

平成5年5月の公認静岡大大会で使用されたテラインである。東の一部が「ふじ」と重複している。
富士のテラインの中では「七色石」の次に標高が低い位置にある。
テラインの中央部は民家や畑が多く見られ、そこを中心に西側と東側部分に分離される。
テライン全体の植生は良好で、コンパス直進を中心として「走れる」テラインである。
見られる地形もわかりやすく、初級者でもとっつきやすいテラインといえるだろう。
近年、テライン左側部分には宅地開発などで変化があり、また、東側部が「不二丸尾」と
重複するため、今回クローズとなっている。

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「表富士一合目」

作成年月日1994年
サイズ・縮尺B4横・1:15000
版権日本学生OL連盟
利用可否クローズ

平成7年3月に行われた第17回日本学生OL選手権大会(静岡インカレ)のテライン。
「飯盛林道」(現「村山口登山道」)に隣接し、かなり標高の高い所に位置しているため、
必然的に傾斜が急となっている。テライン内には道が少なく、非常にレベルの高い
コースセットができるテラインである。そのため、初・中級者には危険とされ、
インカレ後は一部の許可された合宿・レースでしか使用できなかった。
筆者の知る限り、最後に利用されたのは、1997年6月の富士ロングO(飯盛林道をスタートとして
表富士一合目→ふじを通って富士市立青少年の家にゴールするというコース)であるが
そのときにはすでに、近年の台風の影響により倒木地帯が増えており、使用しづらいものと
なってしまっていた。現在クローズである。

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「奇跡の森」

作成年月日1996年
サイズ・縮尺B4縦・1:15000
版権静大OLC
利用可否オープン

0次調査が始まったある日、地図責任者だった当時のある部員が、旧「山宮」の地図を片手に
自分の調査範囲に足を踏み入れた。その時、彼は、自分の調査範囲が
ほとんど一面伐採地だらけであったのを見てこう第一印象を受けた。
「ここで大会が開けたら奇跡だ。」と。
実際にはたまたま彼の範囲だけが、妙に伐採地だらけだったのであるが、
そのショックは彼の心に強く残り、後日、地図名を決める際に、
テライン内に存在する「奇石博物館」の「奇石」とのひっかけと合わせて
すぐさま「奇跡の森」という地図名を提案したそうである。
なお、名前の由来としては他に、
「この大会(の運営)が成功したら奇跡だからです。」というような冗談も
大会当日には言われていた。
実際にはさらに他にも名前の由来のひっかけはあったのだが、
残念ながらここに書ける内容ではないので(?)割愛する。

さて、この地図自体の話については、以下のようなエピソードがある。
ある日本学連合宿での一こま。学生トップエリート達を引き連れて、合宿メニューのスタート地点
へと向かう先頭には、かの全日本チャンピオン村越真の姿があった。
颯爽と地図を読みながら走っていた彼は、しばらくして、はたと立ち止まった。
怪訝そうに彼のほうを見た学生たちに彼は一言こうつぶやいた。「今どこにいるんだ?」
日本チャンピオンですら、現在地がわからなくなる、そんな精度の地図。
それが筆者のこの地図に対する感想である。

そんな逸話?も残されているこの地図は平成9年1月の静岡大大会で使用されたテラインであり、
「天母山」「剣ヶ峰」の合成テラインであった「山宮」のリメイクである。
この2つのテラインは富士山麗では最も古いテラインで、富士山麗テラインの
先駆となったテラインである。
そんな輝かしい?栄光をもとにリメイクされた地図であるが、上述のとおり、
お世辞にも良い精度とは言えない。ただし、特に精度が悪いのはテライン北東部分であり、
現在その範囲はプロマッパー・ロブ氏により、「奇跡」としてきちんとした精度の地図に
生まれ変わっている。それ以外の部分(テライン南側)などはそれなりの精度である。
(と思う。)ただし、「奇跡」の地図にて図化されていない部分は、工場などの立地なども
あり、使用できる範囲は狭くなっているので注意が必要である。
なお、また余談であるが地図名のサブタイトルの「〜THANK YOU〜」という文字は
旧地図名の「山宮」とのひっかけなのであるが、これについては気がついた人は
少なかったそうである。(当時の大会実行委員長がこのフレーズがお気に入りだった
そうである。)


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「北山」

作成年月日1994年
サイズ・縮尺B5横・1:15000
版権静大OLC
利用可否在庫切れ

1994年にSQUADの版権として作成された地図。旧「奇跡の森」に隣接している。
調査者は鹿島田浩二・鈴木卓弥・山本英勝・平井均とこれまた大変豪華な顔ぶれである。
テライン中央に工場があり、周囲を囲むように存在する林をつなぐコースを組むことができた。
左端には民宿「西の家」があり、スポンサーとして名前も載っている。
「奇跡の森」のリメイク時に、squadから版権を静大に譲渡され、
「奇跡」の地図内にて大部分の範囲がカバーされている。


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「七色石」(桑崎)

作成年月日1997年(桑崎は2000年)
サイズ・縮尺A3横・1:10000(桑崎はA4横)
版権静岡県OL協会
利用可否オープン

1997年2月の全日本リレー用に作成された地図。 道路・畑などを挟んで、大きく3つの地帯に分けられるが
それぞれの林において、地形の様子が異なっている。、
植生状態も全体的に良好であり、地形もわかりやすいので
多くの合宿などで使われている。
(個人的にもこの地図は大好きである。)
テラインほぼ中央には溶岩流による微地形地帯があるが
この部分については、足場が悪く、スピードが出にくいため
あまり使われることはない。
2000年勢子辻でのworldcup開催時にトレーニング用として
テラインの右半分は「桑崎」という名称にてリメイクされた。


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「雨降山物語」

作成年月日1999年
サイズ・縮尺B4横・1:15000
版権静大OLC
利用可否オープン

平成11年(1999年)1月の静大大会にて使用された地図。
前身は「富士愛鷹」(平成3年3月開催第17回全日本大会)である。
この年度の静大大会を開くにあたって、静岡県協会から静大に
版権が譲渡された。
この2年前に開かれた「奇跡の森」での地図精度の不評を受け、
当時の学生は「今度こそは」の意気込みを胸に調査に望んだ(?)と
いう話が当時のクラブ内に残っているが、残念ながらこの地図も
あまりいい評価は受けなかったようである。
大会後のアンケートの中には「あんなにきれいだった愛鷹を
こんなにしやがって!」という感想もあったそうである。
個人的な意見であるが、「雨降山物語」は、「富士愛鷹」と比べて
等高線については、さほど修正(精度アップ)された様子はなく、
(というか等高線自体をいじっていないところが多いようである。)
植生その他がリメイクの中心だったようであるが、
伐採地やブルドーザーによる道などが増えたこと、また、
印刷会社が「奇跡の森」同様、RMO・武揚堂でないため、
地図の見た目自体の印象が「富士愛鷹」に比べて悪い、というのも
要因でないかと思われる。
さて上記のように特にテライン東部では、伐採時のブルドーザー道が
縦横無尽に走り、「富士愛鷹」から大きくテラインの様子が変化している。
植生も悪くなったため、その範囲では、直進レッグなどが組めなくなったが
代わりに、複雑に入り組んだ道を利用してのルートチョイスのあるロングレッグなどが
組まれるようになった。
なお、(余談だらけであるが)「雨降山物語」という地図名は、
部員が地図調査中にテライン内にて発見した
古めかしい(?)看板に書かれていた昔話(?)に由来する。
-----------(要約するとこんな話)---------------
『昔々あるところに働き者の若者がいました。ある日若者がある山に
仕事をしに入り、さあ仕事を始めようとすると、突然雨が降ってきました。
仕方なく若者は仕事を止め、山を降りました。すると、雨はぴたりと止みました。
若者が再び仕事をしようと、その山に入るとまた雨が降ってきました。
仕方なく若者は仕事を止め、山を降りました。すると、また雨はぴたりと止みました。
・・・・・。』
------------------------
サブタイトルとして「〜そして新たなる伝説へ〜」と名づけられているが、
これは当時の部長が考案したものだそうである。が、他の部員でこのサブタイトルと
地図がどう関連するのか理解した者はいなかったそうである。
実際何の関連性も無かったのだと思うが・・・・。

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「村山口登山道」

作成年月日2000年
サイズ・縮尺B4横・1:15000
版権静岡県OL協会
利用可否オープン


前身は平成3年(1991年)11月の公認静大大会にて使用された「飯盛林道」。
当時この地図は大会直前の時期に台風・豪雨が重なり、小道が溝・きれつ化するなど、
直前の大会準備に大影響が出たそうである。
上記のためか、このテラインは、溝・きれつを越えるのが一苦労、といった
イメージがある。
また、この地図は、前述の「奇跡の森」や「雨降山物語」ほどではないが、
上記台風の影響などのせいもあってか、やはりあまり精度の良い地図という
認識はされておらず、2000年静岡ワールドカップの前に、NTチーム有志などにより
「村山口登山道」として精度アップした地図として生まれ変わった。
テライン南部・東部は植生状態が悪いが、それ以外の箇所は基本的には良い植生のため
テライン中央の道の人口特徴物(石碑)の辺りを集合場所・中心としてコースを組みやすい。

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「富士裾野東鞍骨」

作成年月日1988年
サイズ・縮尺B4縦・1:15000
版権静岡県OL協会
利用可否クローズ


昭和63年5月の静大大会で使用された。「奇跡」の地図の北側に位置する。
北東から南西方向への方斜面であるが、他のテラインに比べて若干比高があるかもしれない。
このテラインは富士裾野のテラインの中でも、人里から一番離れているためか、
格別通行可能度が良い。通行可能度4段階で9割方がスーパーAの林である。
・・・とは早大OC発行のテラインガイド(現在は関東学生OL連盟からの発行)
における紹介文である。が、このテラインは10年以上の間クローズとなっているため
現在の状況については残念ながら不明である。

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「角木沢」

作成年月日1986年
サイズ・縮尺B4横・1:15000
版権静岡県OL協会
利用可否クローズ


昭和61年の富士宮大会のテレインである。この大会は、競技・運営ともに静岡大OLCが
中心となって行われた。
季節的水路は完全に枯れていて、道との区別がつきにくい。枯れ川沿いに岩石が露出した所も
多々見られ、亀裂のようにかなり深い。しかし杉がきれいに植林されたテレインを
駆け抜けるのは非常に爽快である。
・・・・とはこれまたテラインガイドにおける紹介文であるが、こちらのテラインも
「富士裾野鞍骨」同様10年以上クローズとなっている。
ちなみに筆者はこれら2つのテライン内には入ったことがない。
「将来のbig大会に備えてクローズとなっている。」とどこかで聞いたことがあるが
実際のところ、これらのテラインが今後リメイクされるかどうかは謎、といったところである。

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「奇跡」

作成年月日2001年
サイズ・縮尺B4縦・1:15000
版権静大OLC
利用可否オープン


2002年1月に行われた静大大会において使用された地図。
「奇跡の森」と「北山」の使える部分(?)を合体する形で作成された。
実際の作成には、今回の全日本のメインマッパーでもあるrob plowright氏が
全面的に調査を担当している。
学生による調査の練習を含めた技術伝承的な面を取るか、精度のきちんとした
物を提供するか、その他いろいろな面で話し合いが行われたが
最終的に、ロブ氏に依頼することで落ち着いたそうである。
実際にはこの他、ワールドカップの運営時などにおいて、静大と
縁のできた田代雅之さん(横国大OB)も調査に加わっている。
(田代さんは、その前年度、インカレ団体4位入賞をした静大女子の
うちの2人の個人コーチをしていた。)
テライン内は道が多いので、一見初心者向けという気がするが、
地形については1:15000ということもあり、また等高線1本で書かれた微地形も
多いため、意外に初心者には難しい、というのが筆者の感想である。

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「勢子辻」

作成年月日2000年
サイズ・縮尺A3横・1:15000/1:10000
版権静岡県OL協会
利用可否オープン


2000年静岡ワールドカップにて使用された地図。
多くの人がご存知かと思われるが、ワールドカップ以降も富士山こどもの国大会
(ロングO)・jwoc・ユニバーセレクション・100コントロールチャレンジなどで
使用され現在富士地域でのメインとなっている地図である。
ワールドカップ時には、当初静岡県協会のメンバーを中心として調査が
されていたが、国際大会に耐えうる世界レベルの精度の地図を作るために
途中から急遽、羽鳥和重氏・中村弘太郎氏が中心メンバーとなり、
膨大な時間をかけて、完成した。
広大なテライン内はエリアにより、さまざまな地形を見せており、
日本最高峰の精度の良さと合わせて、技術を磨くのにとても素晴らしいテラインである。

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「砂沢」

作成年月日2004年
サイズ・縮尺A4横・1:10000
版権静岡県OL協会
利用可否オープン?


2004年5月、WOC2004日本代表選考会(兼静岡チャレンジ)用に作成・使用された地図。
以前から「表富士一合目」と「ふじ」との隙間部分(通称三角地帯)であるこの範囲を
調査して埋めようという話は出ていたのであるが、今回、ROB氏により、
見事な地図として実現された。
範囲は狭いながら典型的な富士テラインであり、オーソドックスなコースを
組むことができる。
8月にみちの会にて本テラインにてイベントが企画されているそうです。

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