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 *インカレショート [#n85dbd13]
 
 ショートディスタンス競技は、いまや個人戦のクラシック形式、団体戦のリレー形式に次ぐ第3のインカレ競技として定着している。世界選手権に導入されてから、時流に遅れまいと日本学連でも導入が検討された。通常のインカレと同時に3月に開催して3日間大会にする案、秋にインカレ期間を移動する案も検討されたが、結局は単独での秋開催に落ち着き、試行大会を1992年に開催、翌年からショートインカレとして開始された。 
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 **試行大会 1992年10月18日 長野県木曽郡山口村馬籠 「夜明け前」 [#tf7e338d]
               ※正式名称は「学生ショートO馬籠大会(ショートインカレ試行大会)」 
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|小長井信宏|京都4|渡辺 弥生|筑波4|
 |2|武田  光|早稲田3|佐藤 明子|金沢4|
 |3|吉村 年史|広島2|吉川 素子|京都3|
 |4|小山 博史|東北4|植田 佳子|広島2|
 |5|藤田 晴康|静岡4|小西 陽子|筑波4|
 |6|森 一申|東京農業4|石川恵美子|東北3|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子2名|
 |>|>|>|>|松下愛則(4),松田泰典(4)|
 |>|>|>|>|女子2名|
 |>|>|>|>|渡辺弥生(4),小西陽子(4),角 枝実(2)|
 
 **第1回 1993年10月24日 長野県伊那市 「信州伊那高原ますみヶ丘」 [#l978aa98]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|入江  崇|東北3|山口 純子|名古屋2|
 |2|南条 伸穂|学習院4|酒井 佳子|北海道4|
 |3|武田  光|早稲田4|植田 佳子|広島3|
 |4|安良 和寿|筑波3|志村 聡子|早稲田3|
 |5|森  泰祐|山口2|高木貴美江|京都橘女子4|
 |6|鈴木 卓弥|東京4|片岡由起子|筑波2|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子5名|
 |>|>|>|>|安良和寿(3),藤城公久(2),芦名賢一郎(4),大平洋介(4)小海則人(3)|
 |>|>|>|>|女子4名|
 |>|>|>|>|片岡由起子(2),山下和子(3),角 枝実(3),林ゆかり(2)|
 
  通常のインカレと同じシステムで、地元OB有志を募って行われたが、併設一般クラス参加者を多く見込めない大会のため、結果として構造的に赤字を生み出す大会となってしまった。実際、第1回大会の参加者数は選手権・一般併設合わせても338名、運営者32名だった。以来、運営者の人数、参加者数と収支が常に問題であった。
  この大会では、筑波大から安良、片岡がそれぞれ入賞している。 
 
 **第2回 1994年10月9日 宮城県鳴子町 「RESORT PARK ONIKOUBE」 [#s1ab2b0f]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|入江  崇|東北4|田中 裕子|筑波2|
 |2|藤城 公久|筑波3|志村 聡子|早稲田4|
 |3|太田 晃弘|東京2|山口 純子|名古屋3|
 |4|野中 俊樹|東京4|片岡由起子|筑波3|
 |5|岡安 隆史|千葉4|稲村 仁美|広島4|
 |6|一瀬 建日|京都3|中野 宏美|静岡4|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子5名|
 |>|>|>|>|藤城公久(3),加曽利正典(2),安良和寿(4),小海則人(4),佐々木慎一(4)|
 |>|>|>|>|女子4名|
 |>|>|>|>|田中裕子(2),片岡由起子(3),小山由美子(3),室伏佳子(4)|
  
  個人戦クラシック・団体戦リレー・ショートディスタンスの3つのインカレ競技を通して初めて東北地方・宮城県での開催で、仙台在住の東北大OBらを中心に運営された。スキー場がテレインのメインに使われた。参加者数も416名と第1回大会よりも若干増加した。この大会からはシード制が導入され、Aファイナルへの出場制限も厳しくなった。
  筑波大からは、2年生のときからインカレ個人戦選手権クラスに出場し成長著しい藤城が2位、また、女子では田中が優勝し、試行大会を除いて初めて筑波大から優勝者を出した。片岡は2年連続入賞した。 
 
 **第3回 1995年10月22日 栃木県今市市 「行川供 [#jabc12e0]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|大西 淳一|東京4|山本 康世|ICU4|
 |2|世古口裕史|東京工業3|染矢 和子|千葉4|
 |3|藤咲 芳春|東京4|田中 節美|筑波3|
 |4|太田 晃弘|東京3|中村 正子|筑波3|
 |5|柿並 義宏|東北4|岡原 桂子|筑波4|
 |6|山内 亮太|早稲田4|中尾あずさ|実践女子4|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子4名|
 |>|>|>|>|藤城公久(4),上水健一郎(4),加曽利正典(3),丸山茂樹(3)|
 |>|>|>|>|女子6名|
 |>|>|>|>|田中節美(3),中村正子(3),岡原桂子(4),片岡由起子(4),田中裕子(3),小山由美子(4)|
 
  一時は中九四地区での開催も検討されたが実現せず、関東地区で日本学連技術委員会がメインとなって実行委員会を組織し、同年度に行われる第18回日光インカレのトレコース(しかもリメイク)のこけら落としという省力型の運営となった。赤字構造への対策である。
  この大会では、筑波大にとって勝手知ったる日光ということか、筑波女子が活躍し3人入賞した。また、この大会から新人クラス(Fクラス)が設定され、筑波から村上健介が初代男子ショート新人王となった。
  この大会では、偶然に来日していたIOF事務局長とスキーO委員長が視察に訪れ、実際にO-MAPを持って走った。 
 
 **第4回 1996年11月2日〜3日 長野県真田町菅平高原 「日本ダボス」 [#p142d6ad]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|薜 孝太郎|京都4|中村 正子|筑波4|
 |2|石澤 俊崇|早稲田4|大西真理子|東京女子4|
 |3|太田 晃弘|東京4|山内 祐子|日本女子3|
 |4|桂田 靖之|名古屋4|田中 節美|筑波4|
 |5|渡辺 研也|東北3|田中 裕子|筑波4|
 |6|美濃部 篤|筑波3|堀井 亜紀|筑波3|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子6名|
 |>|>|>|>|美濃部篤(3),加曽利正典(4),加々美健朗(4),小暮喜代志(3),盛田彰宏(4),山下友宏(4)|
 |>|>|>|>|女子4名|
 |>|>|>|>|中村正子(4),田中節美(4),田中裕子(4),堀井亜紀(3)|
 
  この大会から大会名を「日本学生オリエンテーリング選手権ショートディスタンス競技大会」とし、略称も「インカレショート」と改めた。第4回大会は、長野県OL協会への全面的な委託で開催された。日本学連の主催行事を他団体に全面的に依頼することの是非も問われたが、大会コントローラーを派遣するなどにより競技レベルが維持できるものと判断されての結果である。
  筑波から男子は美濃部が入賞し、女子も中村の優勝を筆頭に4人の入賞者を出す快挙である。これらのメンバーは、この年度の3月に開かれる第19回奈良インカレでも個人・団体で活躍した。
  試行錯誤で始まったショートディスタンス競技も第4回を数えると、1年生として入学したときからショートディスタンス競技があったという学年が出てきて、インカレ種目として定着してきた反面、運営者となる社会人の募集(3月のインカレの準備で手一杯のなかでショートの運営者を集めるいう状況)や収支構造などから、大会として継続していくかどうかが議論されている。 
 
 **第5回 1997年10月11日 静岡県富士宮市 「白糸の滝」 [#x650074d]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|美濃部 篤|筑波4|金子 恵美|東京女子4|
 |2|山口 大助|千葉4|渡辺 円香|筑波4|
 |3|近藤 貴文|東京4|堀井 亜紀|筑波4|
 |4|白土 英治|東北4|山内 祐子|日本女子4|
 |5|兼田僚太郎|早稲田2|丹羽美智子|東北4|
 |6|篠原 岳夫|筑波2|堀出 知里|筑波4|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子6名|
 |>|>|>|>|美濃部篤(4),篠原岳夫(2),村上健介(3),山口尚宏(3),小暮喜代志(4),松田貴彦(4)|
 |>|>|>|>|女子5名|
 |>|>|>|>|渡辺円香(4),堀井亜紀(4),堀出知里(4),佐々木峰子(4),大谷由樹(3)|
 
  オリエンティアにはお馴染みの民宿「西の家」をスポンサーにして開かれ、会場の手配、渉外活動および宿泊などに大きな援助があった。また、運営の中心が平成元年入学同期会(元の会)となり、大会運営の形態に同期会という1つの方法を示した(無論、様々な学年が運営に参加したが、同期会が中核的な役割を果たした)。
  この年3月の第19回奈良インカレで活躍した筑波大の3年生が4年生に上がり、この大会でも大いに活躍し、男子では美濃部が筑波大から初めての男子優勝者となった。
  この大会テレイン「白糸の滝」は、第5回静岡インカレで名高い「天子ヶ岳」の一部分がリメイクされている。また、祝日が週末に重なった金・土・日曜の3連休だったため、実験的に土曜日開催が行われ、翌日の日曜日にはリレー大会が提供された。同期対抗リレーや運営者チームに挑戦などの企画が行われたが、その運営者チームには村越 真と鹿島田浩二が同一チームで走るという国内では見ることができない夢のチームであった。 
 
 **第6回 1998年9月27日 岐阜県恵那郡坂下町 「椛の湖ふれあい村」 [#l86bd7dc]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|村上 健介|筑波4|酒井真由美|日本女子3|
 |2|篠原 岳夫|筑波3|赤石 英美|東京農業4|
 |3|水嶋 孝久|静岡4|伊藤 恭子|筑波3|
 |4|高橋 善徳|筑波3|辻井 享子|京都女子4|
 |5|石井 泰朗|東北4|吉田奈津子|茨城4|
 |6|上野 大悟|東京3|河野 真理|日本女子4|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子7名|
 |>|>|>|>|村上健介(4),篠原岳夫(3),高橋善徳(3),山口尚宏(4),谷中一喜(2),野口貴志(2),田島 明(4)|
 |>|>|>|>|女子2名|
 |>|>|>|>|伊藤恭子(3),米川綾子(3)|
 
  1991年の第13回岐阜インカレの団体戦が開催された「椛の湖」へ帰ってきた。Aファイナル決勝コースの距離は男子3000m・女子2100 mで男女とも過去最短のコース。アップ率は例年並であったにもかかわらず、優勝者のキロタイムは男子が8分28秒、女子が10分57秒で過去最長であった。
 決勝Aファイナル進出者数は筑波男子が7名で参加大学のなかでは最高の人数であった。そのなかで第3回ショートインカレで新人王となった村上が4年生となりエース格に成長、前回大会の美濃部に続いて筑波男子として2回目の優勝をした。ほか、男子は篠原と高橋の3年生が入賞、のちに開催される第21回山口インカレでも活躍することになる。女子では成長が著しい伊藤が3位入賞した。 
 
 **第7回 1999年11月14日 栃木県日光市・今市市 「日光所野ver2.0」 [#b0e013e4]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|紺野 俊介|早稲田3|伊藤 恭子|筑波4|
 |2|小野田雄介|東北4|近藤 寛子|ICU4|
 |3|内山 裕史|東京4|上松佐知子|筑波3|
 |4|高橋 善徳|筑波4|塩田 美佐|筑波3|
 |5|篠原 岳夫|筑波4|番場 洋子|京都2|
 |6|安井 真人|早稲田3|安形季見子|千葉3|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子6名|
 |>|>|>|>|高橋善徳(4),篠原岳夫(4),吉村大輔(4),野口貴志(3),宮佐俊佑(4),増田佑輔(2)|
 |>|>|>|>|女子3名|
 |>|>|>|>|伊藤恭子(4),上松佐知子(3),塩田美佐(3)|
 
  2000年3月の第22回インカレが日光で開催されることから、インカレのモデルイベントを念頭においた開催である。
 シード選手に選ばれた筑波大の男女5名はしっかりとシードの貫禄を見せ全員入賞した。なかでも女子のエース・伊藤が優勝し、筑波女子で3人目の優勝者となった。なお、中央大の女子留学生が参考扱いで出場し、3位入賞相当の記録を出した。
 同時にモデルイベントが開催された。これは、スウェーデンのプロマッパーによる地図調査講習会の成果をもとに提供された正真正銘の国際基準の地図によるものである。つまり、我が国のO-MAPの現状がIOF地図基準に従うと云いながら、実際は独自の表記を採用(特にオレンジ系や緑ハッチの表記に関してはその異文化ぶりは顕著)しているため、日本への来訪者や海外遠征者からその弊害が指摘されているということから、2000年の日光でのインカレの地図も国際基準に矯正されることになった。これらの表記に慣れるため、このモデルイベントにより体験できるというものだった。 
 
 **第8回 2000年11月12日 滋賀県高島町 「ガリバーの森」 [#f5f46e7b]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|紺野 俊介|早稲田4|小林 啓恵|東北4|
 |2|加藤 弘之|東京3|上松佐知子|筑波4|
 |3|猪飼 雅|金沢4|古澤 裕子|広島2|
 |4|安井 真人|早稲田4|番場 洋子|京都3|
 |5|小泉 成行|筑波3|下村 淳子|東北4|
 |6|蔵田 真彦|東京工業2|澤田 留己|京都女子2|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子6名|
 |>|>|>|>|小泉成行(3),増田佑輔(3),谷中一喜(4),中村直人(4),野口貴志(4),武政泰輔(3)|
 |>|>|>|>|女子4名|
 |>|>|>|>|上松佐知子(4),塩田美佐(4),二俣みな子(3),黒河幸子(2)|
 
  関西では初めてのインカレショート開催となった。遠距離での開催であるため、筑波大からの参加者はバスを貸し切って大会へ参加した。
  男子は早稲田の紺野が2位以下を大きく引き離して2連覇を達成。筑波大からは成長著しい小泉が5位に入賞した。一方女子はエースの上松が2位に入賞し、3月のクラシックでの活躍も期待された。
  関西地区での開催ということでショート競技に見合ったテレイン選定に多大な苦労があったようで、急峻な比良山系北麓のわずかな緩斜面部分を利用した小さなマップであった。 
 
 **第9回 2001年11月24日 石川県加賀市 「加賀海岸」 [#n6b56092]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|禅洲 拓|東北3|田島 聖子|東京女子3|
 |2|増田 佑輔|筑波4|番場 洋子|京都4|
 |3|金澤 拓哉|東北4|黒河 幸子|筑波3|
 |4|小泉 成行|筑波4|姫野 祐子|東北2|
 |5|新宅 有太|京都2|高橋ひろみ|慶応義塾4|
 |6|佐々木良宜|筑波3|新宅 未笛|筑波4|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子7名|
 |>|>|>|>|増田佑輔(4),小泉成行(4),佐々木良宜(3),福澤昌俊(4),小部直人(3),武政泰輔(4),鈴木未生(4)|
 |>|>|>|>|女子4名|
 |>|>|>|>|黒河幸子(3),新宅未笛(4),二俣みな子(4),高野麻記子(2)|
 
  北陸地区で初のインカレショート開催となった。また翌日には隣接する福井県で東日本大会が開かれるというマルチデーイベントであり、参加者の増加を狙った大会でもあった。
  テレインは日本海に面する加賀海岸の砂防林内の微地形地帯を利用したもの(等高線間隔は2.5mが採用された)で、多くの選手を悩ませた。
  各校の有力な4年生エースがミスをするなか、レースを制したのは男女とも3年生の選手だった。そのなかで筑波大の男子は、前年の団体戦メンバーであった増田・小泉・佐々木がしっかり入賞し、3月のインカレでの活躍が大いに期待された。女子も黒河、新宅が入賞し、前年度に卒業したエースが抜けて弱体化したという評判を払拭する結果となった。
  ちなみにこの年は、8月に秋田の砂防林でワールドゲームズが開催され、また7月のぽっかりカップでは当時の4年生の有志によって茨城県大洋村の砂防林がマップになり、ちょっとした砂防林テレインブームが起きた。 
 
 **第10回 2002年11月4日 長野県真田町菅平高原  「菅平牧場 」 [#t7644cef]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|青木 博人|東京3|宮内佐季子|京都2|
 |2|禅洲 拓|東北4|黒河幸子|筑波4|
 |3|堀江 守弘|東北3|石川裕理|京都4|
 |4|久野 雄介|東京3|皆川美紀子|東京農工3|
 |5|宇田川 雅令|東京4|田島聖子|東京女子4|
 |6|楠本 俊壮|京都2|浅井千穂|京都3|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子3名|
 |>|>|>|>|坂本貴史(2),小部直人(4),佐々木良宜(4)|
 |>|>|>|>|女子1名|
 |>|>|>|>|黒河幸子(4)|
 
  全日本リレーとのツーデーイベントとして開催されたインカレショート。前日の全日本リレーの好天が一夜にして一変し、当日は吹雪となった。大会実行委員会は選手の安全を考え、選手権以外のすべてのレースを中止する異例の処置。大会は予選とAファイナルのレースのみが行われた。
  激しい雪が吹き付ける中、多くの選手が混乱し、筑波からは女子は1名のみ、男子は3名が決勝に進出した。決勝になっても天気は回復せず、会場で待機する選手も観客も極寒の中でそれぞれ調整した。
  男子は優勝候補だった佐々木が崩れるものの、2年の坂本がトップでゴールする快走をみせた。優勝争いは前年度チャンプの禅洲を抑えた東大3年の青木が制した。筑波男子の入賞者なしは第3回大会以来。
  女子は前年度3位の黒河が、前年度チャンプの田島、京大の石川らライバルを抑え準優勝。優勝はアドベンチャーレース界からオリエンテーリングに参戦した京大の宮内。これまでの女子選手にはない圧倒的なスピードとスタミナで2年目にして優勝をさらった。
  彼女は年齢制限の関係でわずか2年間のみのインカレの舞台であったが、男子コースにも出走するなど宮内旋風を巻き起こした。
 
 **第11回 2003年11月16日 栃木県矢板市・塩谷郡塩谷町  「☆彡しおや」 [#s6d01da1]
 
 ||>|男子|>|女子|
 |1|青木 博人|東京4|姫野祐子|東北4|
 |2|小熊武彦|東京4|大塚泰恵|金沢4|
 |3|川上崇史|慶應義塾3|原直子|東京女子2|
 |4|堀江守弘|東北4|浅井千穂|京都4|
 |5|久野雄介|東京4|高野麻記子|筑波4|
 |6|櫻本信一郎|東北4|下村佳奈|岩手3|
 |>|>|>|>|・Aファイナル出場者(成績順・括弧内当時学年)|
 |>|>|>|>|男子3名|
 |>|>|>|>|田村陽祐(2),坂本貴史(3),櫻田隆之(4)|
 |>|>|>|>|女子3名|
 |>|>|>|>|高野麻記子(4),杉崎真由子(3),大保和子(4)|
 
  近年、オリエンテーリングのメッカになりつつある栃木県矢板市・塩谷町での開催。最後のインカレショートである。モデルイベントは2年前にインカレ団体戦が行われた番匠峰古墳で実施された。実行委員長は筑波大OBの宮佐氏。また地図調査にも沢山のOBOGが参加していた。
  筑波からA決勝に進出したのは男女とも3名ずつ。4年の櫻田は予選トップのタイムで通過した。MEA決勝は予選をギリギリで通過した田村がトップスタートでトップゴール。そのまま、有力選手がゴールしてくるまで順位は下がる事がなく、2年ながら7位に入った。WEA決勝は高野が4位入賞、杉崎が7位に入る。またここで決勝に進出した4年の大保が自信をつけることになる。
  優勝はMEが東京大学4年の青木選手で二連覇、WEが後にクラシックとの二冠を達成する東北大学の姫野選手。双方とも優勝候補の大本命が勝つ結果になった。男女ともに決勝のコース距離が長く、また中間に道走りが長い区間があったせいか、序盤のテクニカルなエリアを上手くこなしたスピードのある選手が上位に入った。
  決勝進出人数や選手権クラスの人数など、翌年のミドル競技実施から変更される点が多く、様々な意味で変革を求められる中でのインカレだったと言える。

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