地図/筑波大学・学園都市周辺

吉瀬(きせ) No.1 1978.11.3

     〜 茨城県桜村(現つくば市)・土浦市
 愛好会第1号の記念すべきマップ。1978年の第1回筑波大大会のテレイン。土浦市の宍塚大池を含む自然公園一帯の緑地を利用した地図である。1982年に関東学連によってリメイクされている。植生は概して悪い。その後、マップ中央に常磐自動車道の建設によってマップが東西に分割され使えなくなった。地図の中心にある「大」の字の形をした宍塚大池と池のまわりの雑木林、谷津田、畑、アシ原などの自然は、関東地方の里山の環境が保たれているところとして大変貴重で、多くの野鳥が繁殖、越冬し、渡りの途中の野鳥も目標にしているそうだ。
 

下平塚(しもひらつか) No.2-1 1979.3.7,No.2-2 1982.6,No.2-3 1988.3,No.2-4 1994.3

     〜 茨城県谷田部町(現つくば市)
 愛好会で最も息の長いテレインで、3回もリメイクされ現在でもよく利用されている。大学からとても近くにあり、マップ内に住んでいる愛好会員までいる。若葉の大会、OL教室、技術トレーニング、地図調査講習会など様々なことに利用されている。

柴崎(しばさき) No.3 1980.1.20

     〜 茨城県桜村(現つくば市)
 1979年度の第2回筑波大大会のテレイン。筑波大学の東側、桜川と花室川に挟まれた丘陵地にあった。現在では、テレイン北部の林は「テクノパーク桜」の造成により失われた。道路も多く敷かれ、新しいアパートやスーパーマーケット「まるも」などもあり、大学周辺の住宅地となって大きく変化している。1987年を最後に使われなくなったテレインである。

恋瀬川(こいせがわ) No.4 1981.1.18

     〜 茨城県石岡市・千代田町・八郷町
 1980年度の第3回筑波大大会のテレイン。初めて大学から離れた所で行われた大会であり、起伏のあるテレインの調査も初めて、通行可能度4段階表示も初めてと、初めて尽くしの中で地図は作成された。 地図上では走行容易と走行可能の区別がつきにくく、一見するととても白く見える。しかし、実際にはこのテレインもグリーン茨城のひとつと言えるだろう。現在ではテレイン中央にゴルフ場が横たわっている。

森を駆ける恋人達(もりをかけるこいびとたち) No.6-1 1982,No.6-2 1989,No.6-3 1993

     〜 茨城県桜村(現つくば市)
246haという単一キャンパスとしては最大級の敷地を有する筑波大学ならではのキャンパスマップ。愛好会員のトレーニングの他、体育の授業などにも利用され大活躍の地図である。大学の敷地内は疎林の林の中にブラウン系の色に統一された建物が整然と並び、モダンでアカデミックな景観を演出しているが、ところどころに学園都市建設以前の松林や池が残されており、変化に富んだオリエンテーリングを楽しむことができる。この地図だけは愛好会の所有マップではなく、筑波大学の所有である。そのため、なぜかこの地図だけ通行可能度Bの部分に違う色(黄緑)が使われている。
 ちなみに、筑波大学のキャンパスが大学会館のところで細くくびれているが、これは学園都市を造成するときに、既存集落をさけて都市開発がなされた経緯があり、現在の天久保3丁目付近は、戦後満州から引き上げてきた人たちが入植したところで、この部分だけ買収されなかったかららしい。

ARIMARU-GA-HARA(ありまるがはら) No.10 1984.3?

     〜 茨城県豊里町(現つくば市)
1982年入学の有村知江子氏と丸山浩史氏がなぜか意気投合し、自費で作成した葉書サイズのマップである。2年の3学期の試験中にヒマを見つけて調査した。

豊里グリーンタウン(とよさとぐりーんたうん) No.20 1989.1.29

     〜 茨城県つくば市
1985年度卒業生の卒業記念として調査、作成された。この代が作成した「ARIMARU-GA-HARA」を拡大リメイクという形で調査が進められた。しかし、調査が遅れた上に、作図予定者も勉学に追われ、筑波を離れるまでほとんど手を着けることができなかった。2年後、引き継いだ作図者も不慣れな上に仕事に追われ、作図が思い通りに進まなかったために、地図の完成は卒業してから3年近くたった1989年1月となってしまった。作図者の不慣れのため、スクリーントーンを選び間違え、印刷の過程でスクリーントーンがつぶれてしまい、通行可能度BとCの区別がつかなくなってしまったのは大失敗である。通行可能度Aの林は、タバコ栽培農家が落ち葉を採集するために維持されているものである。他者が林に進入すると落ち葉泥棒と間違えられてしまうので、地元渉外が煩わしいところであった。そのため、使われたのはお披露目大会の1回きりという悲劇のテレインである。

FURUMAGI(ふるまぎ) No.12 1985.2.6

     〜 茨城県石毛町
 1984年技術部の記念マップ。ここにも都市化の波が訪れ、一部に大規模な開発が入ってしまった。なかなかうまく利用されなかった大学近郊の地図である。

洞峰公園(どうほうこうえん) No.13 1985.6,No.13-2 1995.3

     〜 茨城県谷田部町(現つくば市)

赤塚公園(あかつかこうえん) No.14 1985.6

     〜 茨城県谷田部町(現つくば市)

赤塚公園R(あかつかこうえんあーる) No.14-2 1999.5.22

     〜 茨城県谷田部町(現つくば市)
つくばセンターからペデストリアン(遊歩道)を2kmほど南下したところにあるのが「洞峰公園」。さらに「洞峰公園」からは南に1kmのところ、ペデストリアンの南の終わりに「赤塚公園」がある。どちらも新歓やOL教室に利用されている。
洞峰公園は学園都市最大の公園で、古く万葉の時代から水をたたえる洞峰沼を中心に野球場、テニスコート、屋内プール等のスポーツ施設が整備されている。洞峰沼は1年を通じて野鳥を見ることができ、さらに公園に隣接する研究施設の敷地内には松林・雑木林があるため、多様な鳥たちを公園内で観察できる。赤塚公園も同様によい探鳥地である。

ぽっかりが丘(ぽっかりがおか) No.22 1991.5.11

     〜 茨城県つくば市
「吉瀬」「柴崎」「FURUMAGI」等のテレインが事実上消滅してしまったことで、大学近辺で気軽に利用できるテレインは「下平塚」のみとなってしまった。そこで第2の「下平塚」を期待され、鳴り物入りで1991年5月の「若葉の大会」で華々しくデビューしたのがこのテレインである。「下平塚」のようなフラットなテレインであり、万博記念公園内にある丘の名前から命名された。万博記念公園を会場とした若葉の大会の好適地であるが、現在は在庫切れとなっている。
このテレインのメインである西部の松林一帯は、将来常磐新線(平成17年度開業予定)が通り、さらに駅の設置と住宅地の開発が予定されている。また、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)もテレイン内を東西に横断する予定であり、いずれなくなる運命にある。


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