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インカレスプリント

世界選手権(WOC)・ジュニア世界選手権(JWOC)での結果から、日本が世界に対抗できる可能性が一番高いのはスプリントであるという考えが起こり、2008年、全日本スプリントオリエンテーリング選手権大会が開かれるようになった。それに併設する形で、インカレスプリントが開催された。

第1回 2008年11月02日 千葉県南房総市富浦町 「大房岬」

http://www.keiyo-ol-club.com/eventum/29th/

男子女子
1崎田 孝文名古屋4柴田 彩名椙山女学園2
2小見山 斉彰千葉4高野 美春十文字学園女子2
3小林 知彦名古屋4山本 紗穏里筑波2
4勝田 弘東北4新井 宏美新潟2
5谷川 友太名古屋3疋田 はるか椙山女学園4
6小林 遼東京2鈴木 聡子東北3
・決勝出場者(成績順・括弧内当時学年)
男子1名
下嶋健太(3)
女子1名
白形由貴(4)、常住紗織(3)、山本紗穏里(2)

第1回のインカレスプリントは、試行大会として、京葉オリエンテーリングクラブ南房総大会の2日目、全日本スプリントと併催で行われた。コースは全日本スプリントのエリートと同じものであり、全日本スプリントと同じく予選決勝方式であった。これらは、早いうちから日本のトップと競い合うことによって、将来世界と戦える人材を育てることを目指してのことだったらしい。テレインは、大房岬自然公園の一部であり、砂浜や露岩などがある海岸部を通過したり、砲台跡にコントロールが置かれたりしたことが特徴的だった。
 愛好会員にとってインカレミドルやロングとは重要度が異なるという意識があったのか、行きたい人が行こうということになり、筑波からは下嶋、白形、常住、山本が参加した。決勝進出のボーダーが、男子は39名中15名、女子に至っては23名中20名であったため、4者とも決勝に進出。決勝は、全日本スプリントの選手権クラスで予選を走りボーダーよりタイムが速かった学生も含めて順位が決められ、山本が女子の3位に入賞した。
男子:下嶋14位  女子:山本3位、白形7位、常住15位

第2回 2009年10月31日 新潟県長岡市 「国営越後丘陵公園」

http://genesysmap.co.jp/sprint/alljapan_sp2009.htm

男子女子
1山上 大智東京柴田 彩名椙山女学園
2立川 悠平新潟太田 夏美千葉
3小林 遼東京水野 日香里椙山女学園
4田中 裕也東京山本 紗穏里筑波
5林 真一名古屋鈴木 聡子東北
6新城 大樹東京工業林 美樹十文字学園女子
・決勝出場者(成績順・括弧内当時学年)
男子1名
神谷 泰介(4)
女子2名
常住 紗織(4)、山本 紗穏里(3)

第2回の全日本スプリントは、全日本リレーとセットの2日間大会として開催され、インカレスプリントは学生の部という位置づけで開かれた。主催者は、翌日の全日本リレーを主催する新潟県オリエンテーリング協会と、山川氏率いるジェネシスマッピング、学生の部は日本学連。 第1回と同様、全日本選手権クラスと同コース・予選決勝方式だが、B決勝が設けられたり、A決勝進出者の隔離が行われたり、第1回よりインカレに近い形で行われた。
今回も、行きたい者が行くという意識から、翌日の全日本リレーに参加する予定であった、石松、神谷、常住、山本が参加した。決勝進出のボーダーは、全日本のE権を持つ者を除いて、男子が2ヒートから各15名の30名、女子は同様各10名で20名。男子は、神谷がヒートのトップで決勝に進出。女子は、参加者が19名とボーダーの人数より少なかったため予選出走者全員が決勝に進んだ。決勝では、1ポが置いてある建物の立体構造の地図表記に苦戦者が続出。その中で、山本が4位入賞した。
男子:神谷A決勝17位 石松B決勝17位 女子:常住17位

第3回 2010年12月12日 茨城県ひたちなか市 「ひたち海浜公園」

http://www.jsoc2010.com/

男子女子
1立川 悠平新潟水野 日香里椙山女学園
2山上 大智東京高野 美春十文字学園女子
3堀田 遼東京水野 綾子東北
4三谷 洋介東京小泉 佳織津田塾
5新城 大樹東京工業小玉 千晴椙山女学園
6小林 遼東京太田 夏美千葉
・決勝出場者(成績順・括弧内当時学年)
男子0名
女子0名

前日大会としてときわ走林会、茨城大学OLDと合同で偕楽園で大会を開いた。参加者には偕楽園でオリエンテーリングができるということで好評であった。しかし、全日本スプリント大会にはM20Aの1年生3名のみの参加で、選手権クラスに出場した者はいなかった。茨城県内での開催であったが主要学年が抜け全体の人数自体が少なくなっていることもあり少数の参加となった。結果は木間(地球1)が2位となり存在感を見せつけた。なお、この大会にはオフで帰国していたメジャーリーガーの井川慶選手(当時)も参加され話題を呼んだ。


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