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 *地図/筑波大学・学園都市周辺 [#v9787b68]
 *地図/茨城県央地区 [#af83ba11]
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 **木葉下(あぼっけ) No.5 1981.12.20 [#q5103087]
      〜 茨城県水戸市・常北町
  1981年の第4回筑波大大会のテレイン。常磐自動車道水戸インターを下りてすぐの便利な所にある。尾根沢が細かく入り組んだ複雑な地形をしており、通行可能度も地図を見る限りでは茨城にしてはかなり良いと言える。テレイン内には水戸市森林公園があり、林はよく整備されている。最近、茨城大学OLDの手によってリメイクの話が持ち上がったが、その計画は現在宙に浮いている。早くリメイクがされてオリエンテーリングをしてみたいところである。
 
 **春園(はるぞの) No.8 1982.12.19 [#k8c7358e]
      〜 茨城県常北町・桂村
  1982年の第5回筑波大大会のテレイン。東半分は那珂川沿いの大地の平坦な地形をしており田畑が多く、西半分は丘陵地で「木葉下」に良く似た尾根沢の入り組んだ地形である。地図から受ける印象はグリーン&イエロー茨城の延長で、通行可能度はいまいちである。
 
 **古徳沼(ことくぬま) No.15 1985.12.15 [#z16f1b46]
      〜 茨城県瓜連町・那珂町
 **那珂川(なかがわ) No.15-2 1993.11.3 [#z5a21cc4]
      〜 茨城県那珂町
 「古徳沼」は1985年の第8回筑波大大会のテレイン。水戸市近郊、那珂川と久慈川に挟まれた台地に位置する。通行可能度の低下は否めないが、都市近郊のテレインとしては田畑も少なくまとまった森林が確保されている。テレインの一部に県民の森があり、交通の便も良く普及活動に適している。マップ名の由来となった古徳沼は農業用のため池で、コハクチョウやオウハクチョウの越冬地として有名である。
  「那珂川」は「古徳沼」が在庫切れしたため、1993年にリメイクしたもので、その際に「古徳沼」において地図内を東西に横切っていた道路(バードライン)より北側がカットされ、古徳沼はマップ外になってしまった。「那珂川」は真冬に調査が行われた為に基準が多少ヤブ目であるが、数多く利用されるコンビニマップである。
  
 **稲田三山(いなださんざん) No.16 1986.12.21 [#lb8d080c]
      〜 茨城県笠間市
  1986年の第9回筑波大大会のテレイン。茨城テレインの代名詞のように語られるこのテレインは、まさにグリーン&イエローである。広大な田畑とグリーンの山々、おまけに急斜面であり、本当によくこんな所で大会を開いたなという感じであるが、当時の愛好会としても苦しんだ末の選択であった。 ただ植生に関しては基準がかなり厳しく取られており、実際は地図の印象ほど悪くない。吾国山洗心館のすぐ近くにあり、地図調査講習会等に利用されていた。1995年に第18回筑波大大会のために西半分がリメイクされ、ニューマップ「吾国山」となっている。
 
 **かたくりの里(かたくりのさと) No.17 1987.12.20 [#s574e623]
      〜 茨城県笠間市・内原町
  1987年の第10回筑波大大会のテレイン。テレイン中央の精神薄弱者施設「県立コロニー」の林がなくては候補にもならなかっただろうほど条件は悪い。田畑の占める面積が非常に大きく、森林部分の植生も悪い。大会時のコースは道走りが中心で、あとはわずかなAの林を縫うように設定され、それでもダメなところは草刈りをして通行可能にした。そのため、「現地を地図に合わせた」と言われるほど大規模な草刈りが行われたと聞く。県立コロニーの敷地内の林は良く手入れがされており、植生は良好である。ただ、そこが白いのは渉外の都合で事前に調査ができなかった為であるとも。また、手入れの為に直前になって植生が変わってしまった為に、慌てて再調査をしたというエピソードもある。1996年度の公認朝日大会でリメイクされる計画がもちあがったが、朝日大会は1995年度を最後に終了することになり、計画は幻に終わってしまった。
 
 **岩瀬燕山(いわせつばくろやま) No.21 1990.10.21 [#j1488a43]
      〜茨城県岩瀬町
  1990年の第13回筑波大大会のテレイン。筑波山を中心に「し」の字型に連なる筑波山系の北端東側斜面に位置する。非常に急峻な片斜面で比高が400mにも及ぶので、以前はここでの開催は見送られてきた。しかし、このころの時代に開催された公認埼玉寄居大会や1989年度の第12回埼玉秩父インカレなど山岳テレインが許容される傾向を受けて、開催に踏み切ったという経緯がある。他の茨城テレイン同様に植生は良いとは言えず、またコースセットは登距離との戦いであった。「稲田三山」の反省から通行可能度の基準を少し緩めて競技性を高める措置がとられた。つくばから比較的近くにあるため、新歓や練習会、OL教室などに多く利用され、ついに1995年に在庫切れとなった。
 
 **鞍石(くらいし) No.25 1993.10.17 [#p21a0520]
     〜 茨城県笠間市・友部町
 1993年の第16回筑波大学大会のテレイン。比高のそれほど高くない東西に走る主尾根と、そこから南北にのびるいくつもの尾根と沢からなる地形である。植生は一部を除いてあまり良くないが、コースの組み方次第で、それなりにオリエンテーリングが楽しめるテレインであり、練習会や新歓などでの利用も多い。面白い人工特徴物の多いテレインでもある。ほんのわずかだが、マップ東端が「かたくりの里」の西端と重複している。
  平安時代の終わり頃に、朝廷の命を受けて奥州征伐に向かった 源八幡太郎義家 が遠征途中、この地の豪族と戦いになり勝利をおさめた。義家は休息をとるために馬から鞍をはずし、馬の背のような形の石に鞍を置いた。以来、地元の農民達は義家を敬い、この石を「鞍石」と呼んだという。
 
 **吾国山(わがくにさん) No.26 1995.10.29 [#xb7b8882]
      〜 茨城県笠間市
 1995年の第18回筑波大学大会のテレイン。第9回大会の「稲田三山」を西側にテレイン半分ずらした形での地図である。マップ面積の半分がニューマップであり、調査原図も新しいものであることから新しいマップナンバーがついた。吾国山の北斜面と前山を含んだ地図であり、地図は畑か激コンターというものである。植生は「稲田三山」とは比べ物にならないほど良く、愛好会のOB・OGを驚かせたが、やはりグリーン茨城の延長であると言える。
 マップ中央を横切る形で北関東自動車道の建設が予定され、JR水戸線福原駅付近には笠間インターが設置される予定である。
 
 

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