長野県オリエンテーリング協会報
2002年度No21
2002年12月30日


INDEX
会費納入について
通常総会報告
全日本リレー大会報告
菅平高原2002年イベントを企画して
菅平ロゲインチャレンジに参加して
O-CUP2002に参加して
JOA規程集発刊
編集後記



会費納入について
会費の納入方法を変更し、複数年一括支払いも出来るようになりました。是非、便利でお得な複数年一括支払いをご利用ください。(年3000円が2500円に)

金額
 一般・団体  1年分 3000円
        2年分 5500円
        3年分 8000円
        4年分 10000円

 学生     1年分 2000円
        2年分 3500円
        3年分 5000円
        4年分 6000円

会費振込先
郵便振込口座 00520-9-30241
加入者名 鳥川  秀司
または
銀行振込 八十二銀行飯田支店(普)480853
口座名      長野県オリエンテーリング協会

 注意事項
 必ず、備考欄に振込んだ会費が何年度の会費であるかを記入してください。(例:02〜05年度分) <既に2002年度の会費を振込まれた方は今年度に限り差額を振り込む事により、複数年登録であったとみなします。>


通常総会報告
日時:平成14年9月14日
場所:真田町菅平高原「ホテル白樺荘」
参加者:元木、美谷島、山崎、木村、鳥川(秀)、鳥川(知)、せつ、山川、目黒、竹前、宮沢。委任状含めて47/60で成立。

<議事項目>
1.平成13年度事業報告
2.平成13年度決算報告
・ 以前行った大会開催の利益が加えられた。
・ 協会報発行の回数減により、これに関する支出が減少した。
3.平成14年度事業計画
・ 協会報に「オリエンテーリングマガジン」を同封する案が出され、1年間試行することになった。
4.平成14年度予算計画
・ 関東甲信越ブロック会議、OL推進会議等への参加旅費を5000円程度予算に計上することにした。
5.役員改選
・ 協会理事は以下の通り(敬称略)。
  会長が元木。副会長が美谷島と木村。理事長は元木が兼務。理事に宮崎、山崎、宮沢、竹前、齊藤。監事は前沢、加藤が留任。事務局長に鳥川が留任。
* 副会長を2人体制とするため、規約をした。
  第11条の2が、「1名を副会長→若干名を副会長とする」になり、第11条の3の「常任理事とすることができる」を不要と判断し削除した。
6. その他
・ 協会の年会費の納入額・方法が新たに提案された。これにより、複数年分の納入が可能になった(詳細は前記の通り)。
・ 減少傾向にある会員を引き留めるだけでなく、積極的に勧誘してゆこうと提案される。PR用パンフレット等を作ることになった。
・ カラーコピーの低価格化により、地図がコピーされてしまうため、地図販売の収入が激減している。明快な打開策はないが、県協会所有の地図については1枚100円でカラーコピーを認めることにした。


全日本リレー大会報告
報告:団長兼監督 鳥川秀司
日時:11月3日
場所:菅平高原
天候が心配される中、全日本リレー大会が無事終了いたしました。選手の皆さん、そして運営の皆さん、本当にお疲れ様でした。

選手宣誓は立花・蓬莱
 前日の選手宣誓は立花君・蓬莱さんにお願いした。会場の人数の多さ・施設の大きさに緊張しまくっていたようだが、無事、大役を果たしてくれた。

天候に悩まされた競技運営
 この時期にはめったにない降雪に見まわれ、テレインには雪が残っていた。大会期間中、常に天候は不安定で、降雪による競技中止も視野に入れなくてはならない状況であった。
そんな中、道路の凍結を想定し、急遽バス輸送を断行。臨機応変な対応とそれを滞り無く遂行した実行委員会と地元の皆さんに感謝。

史上最大の懇親会
 リレー前日の夜は懇親会が定例となっている。しかし、レース前であることからどうしてもセーブしがちだった。
しかし今回は夜9時半から夜中の1時過ぎまで、おおいに盛り上がった。普段、交流が少ないメンバーなので、たいへん有意義な時間だった。

4走で逆転・女子6位入賞
 スピーディーかつテクニカルなコースが用意され、最後まで目が離せない展開となった。女子は1走蓬莱2走上松が順当な走りを見せた。そして3走元木が個人タイム2位の快走で7位にジャンプアップ。4走松澤へ。
 しかし、エース投入後で入賞圏内にいない正直苦しい展開。5位までは関東の強豪が既にゴールし、入賞最後の枠に望みを掛け、ビジュアルにて待つ。
そして松澤が現れた。しかし、後ろ100mには北海道が追う。北海道は足が速く、徐々に差が縮まっていく。しかもビジュアル以降はオープンテレインのため、全て会場から見える。手に汗握る展開もラスポのみ。ラスポは松澤が先にパンチし、あと200mの勝負。差は5mもない。ついに逆転を許す。正直、あきらめた。まあ、頑張ったから・・。と諦めの言葉を探した。しかしそこから最後の力を振り絞り再逆転。最後に感動が待っていた!

最後に
 今回、運営サイドと競技サイドに分断された長野であったが、両者ともに長野のパワーを出しきって、成功に終われたと思う。来年は茨城。更なる飛躍を目指そう!

以下、参加者の感想です。



蓬莱(WE1走)
自分は1走で10位(半分より上)の順位で帰ってくることが仕事でしたが、全然役目を果たせませんでした。それなのに表彰台の上に立てたことはチームメンバーの上松さん、山浦さん、松澤さんをはじめ長野県チームのみなさんのおかげだったと思います。本当にありがとうございました。こんなヘタレな私に「来年もまた走ろうね」と言ってくれたこと本当に嬉しく思います。来年はもうちょっとチームに貢献できるように・・・頑張ろうと思いました。最後になりましたが、極寒の中すばらしい舞台を用意してくださった運営者の皆さん、本当にありがとうございました。


山浦(WE3走)
 私にとっての全日本リレーは、普段長野県にいると、トレーニングも遠征もほとんど1人(2人?)という中、年に一度、長野県のチームを組めるという事で、ある意味レース前に満足感というか目標は達成されている数少ない大会の一つです。
それが去年は思いがけなく入賞なんかしてしまったものですから、正直今年はちょっとだけ欲がありました。
 でもそれが裏目に出る事もなく、またしても土俵際ギリギリで入賞できたのも、県内外から集まってくれた女子チームのみんなや応援してくれたみなさんのおかげだと思います。本当にありがとうございました。
 来年は茨城ですね。とりあえず今年走った女子チームのメンバーは来年も走れるので、是非また一緒にチームを組んで楽しくやりましょう。

ここからは、個人的なレースの完走を。
 今回は大きなつぼりはなかったものの、ちょっとしたタイムロスをちょこちょこしたレースでした。
(ex.スタート、地図をとりそこない、オーバーランして運営者に引き止められる。4−5沢切り、直進をしようとしたが、フェンス越しに見える沢がやぶそうでウッとなり下の道周りにしようと30mほど下りかけるもやっぱ行こうと再びへんな所から沢を切り始める。タッチゾーン、松澤さんと話をしていて次走者枠に突っ込む。そしてさらに直前で抜いた千鶴さん(神奈川WE)に計時線通過後パンチングで抜かれ、7位に。等々)
事前に蓬莱さんから「前半リフトまではきついけれどその後はそんなに上らない」と聞いていたので、前半は後半のスピード区間のために薄い酸素に体がなれるまでゆっくり地図読みをして行きました。でもやっぱりラスポからの登りはかなりきつかったです。



松澤(WE4走)
 私にとってインカレリレーを走るということは学生時代の夢だったのですが、人数がそろわずどうしてもかなわないものでした。ところが今回思いがけず全日本リレーを走りませんかというお誘いがありとても楽しみにしていました。
ただ、本格的なリレーを走るのはあまり経験がないのでかなり不安になることもあったのですが、他のメンバーの方々が頼れる人ばかりだったから走る直前は「私は自分のレースをすれば良いんだ」、と落ち着いて走ることができました。
レース中北海道の選手に追いつかれ、パックで会場まで戻ってきて初めてチームの順位を知りかなりあせりました。
いつもなら疲れてる時は歩いてしまうようなヘボい私ですがチームの皆さんの応援のおかげで何とか逃げ切ることができました。ああいうふうに応援されると足って動くものなんですね。
辛いときに暖かく応援してくれた蓬莱さん、上松さん、山浦さん長野県チームの皆さん、またこのようなすばらしい舞台を用意してくださった運営の方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。


立花(ME1走)
 個人的には、長野トリムを着て走ることが出来たことと、レース後に、去年にくらべれば少しはチームに貢献できたかなと思えたことが印象に残っています。残念ながら男子チームは入賞は逃してしまいましたが、また来年があります!次こそは表彰台の上に立ちましょう!僕も精進して、より貢献できるように頑張ります。
運営陣の方々、本当にお疲れ様でした。酷寒の中の運営は、どれほど大変だったか…。おかげさまで2日間非常に楽しいレースをすることができました。二日目の悪天候による、B-finalおよび併設大会の中止は、皆さんにとって非常に残念なことだったと思いますし、非常に残念なことだと思いました。しかし、あの判断は正しい選択だったと思います。 とてもよい二日間でした。来年も今回くらい楽しめたら良いなと思います。


内田(ME2走)
 全日本リレー、とっても楽しかったです。
長野県のみなさんと一緒に走れる最後の全日本リレーだったので、絶対、代表になって走りたい、そして、結果を残したいという気持ちが強くありました。
初めて話す人もいましたが、セレクションや、宿泊、ミーティングなどで、だんだん仲良くなることができて、いい雰囲気でレースを迎えることができましたよね。
それだけに、男子は、とても残念な結果となってしまい、悔しいです。女子はさすが!!って感じでしたね。ホント、おめでとう。感動しました。やっぱり、入賞したいですよね!
来年は、長野県で走ることはできなくなりますが、オリエンテーリングは続けるつもりなので、またどこかでお会いしましょう。
立花くんの1走は速かったね。ショートインカレも入賞まであと少しだったし。来年は、もっと強いチームで是非、メダルを獲って下さいね。2年間だけでしたけど、長野での生活は、とても充実したものでした。ありがとうございました。


降旗(ME3走)
 本当にとても楽しかったです。今年は年齢の近い人がたくさん増えたし、3年目で話せる人が増えたのもその理由です。
MEチームとしては、正直今回は入賞は厳しいなぁ、と思っていたのですが、メンバーになった4人のうち、内田さんと倉沢さんと僕はセレクションの時からタイムが似ていて、当日も3人同じようなタイムで不思議でした。テレインも地図もすばらしく、雪も降らなかったので幸せです。(次の日、学生は大変そうでしたね。)
木村さん、元木さんを始め、運営してくださったみなさん、本当におつかれさまでした。今年は現役生ではなくなり、インカレという目標がなくなってしまってあまりトレーニングしていませんが、来年は丸山さんも復活し、熾烈なメンバー争いになると予想されるので、しっかり準備したいと思っています。僕も一応来年で卒業なので、なんとしても有終の美を飾りたいです!


倉澤(ME4走)
レース中に「ここはどこ?」が3回くらい…。なんか動物の足跡(ちょっと大きめ)とか見てるし…。あぁ皆さんごめんなさい…。レース内容はぱっとしなかったんですが、楽しく走ることができました。長野県チームの皆さん、運営してくださった皆さんありがとうございました。


丸山(一般クラス)
永いことブランクがあったのですが今回久々に大会会場に顔を出すことになり全日本リレーに参加させていただきました。しかも走らせていただきました。
ありがとうございました。純粋におもしろかったです。
もう一度オリエンテーリングを始めようという気になりました。
で、今後なんですが、いちオリエンティアとしては10キロ近く増えてしまった体重を絞るべくダイエットに励もうと思います。それ以外の雑務については・・・適当に申しつけていただければそつなくこなしますのでなんとでも言ってください。


黒田(一般クラス)
去年から新しい人が増えて、最初はちょっと戸惑いましたが、長野県チームの雰囲気は変わっていなかったですね。飲み会も楽しかったです。
女子エリートの入賞は興奮しました。
僕もトレーニングを再開しようかな…。
今回は入賞できなかった男子エリートも、復活する人が多そうなので来年が楽しみです。
翌日のICSの手伝いも含め、とても充実した3日間を過ごせました。また来年も長野県選手団として参加したいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。


飯島(一般クラス)
今年の全日本リレーも楽しかったです!
2年前はじめて参加した時もそうだったのですが、宿泊先で長野県チームの皆さんと楽しむ機会もあり、おかげで次の日のレースともども楽しみ尽くしたといった感じ。
 併設のレースでは、必死にヨタヨタと走ってました・・。難易度が低く設定されてて、本当に良かった!
 選手権クラスの方々は真剣そのもので恰好良かったですよ! 前日からレースの準備に余念がなく、流石だなあと感心してました。WEクラスは見事入賞されて、スゴイ!の一言に尽きると思います。
 今回は運営にまわられる方がいたので(本当にありがとうございました)人が少ないのかな?と思ってたのですが、結構いたのは嬉しい誤算。来年以降もさらに賑わってゆくといいですね。本当に皆さん、おつかれさまでした。


菅平高原2002年イベントを企画して
<全日本リレー大会/インカレショート大会>
木村佳司
 「申しわけありませんが、併設大会を中止させていただきます。」
 私の発表にどよめく会場。降りつもる雪。ホワイトアウトに霞むテレイン。今回のイベントの中で最も印象的なシーンが思い起こされる。構想から2年。そのイベントがまさかこんな展開を見せるなんて誰が想像しただろう。

【全日本リレーが無くなる?】
【絶対に成功する!】
【心配事は数多し】
【地図〜それは調査者の作品】
【起死回生! 前年比200%!】
【パワフルな菅平の受入体制】
【プロフェッショナル運営?】
【リレーは繋がった】
【山とはそーゆーものである】
【インカレショート併設大会の中止】
【寒い中、ハートだけが熱かった】
【未来に向けて】



【全日本リレーが無くなる?】
 今から2年前、20世紀最後のインカレショート大会が開催される滋賀県に向かう車中の会話からすべては始まった。

山川「全日本リレー大会開催がピンチなんだ。」
木村「翌週の富山での全日本リレーのこと?」
山川「来年以降の話なんだけど2001年から2003年までの3年間は国体開催県が全日本リレーを開催しないことがほぼ確定らしい。この3年間の開催を引き受けてくれる都道府県協会が無い限り、全日本リレーは開催されない。そうしたらたぶん全日本リレーは途絶えてしまうだろうな。」

 この山川氏とは、RMOサービス(現:ジェネシス)代表・山川克則氏である。日本で唯一のオリエンテーリング専門のプロマッパーであり、この年(2000年)富山で開催される全日本リレー大会の地図も山川氏の手によるものである。

 「もしも、替わりに全日本リレーを引き受けてくれる都道府県協会がいたとしても、その運営は決して楽なわけではない。全日本リレー大会を引き受けてしまったことで都道府県協会の財政が壊滅的打撃を受けることも充分考えられるんだ。
 例えば、来週の2000年度全日本リレー参加者は400名しかない。主管県が手に入れることができる資金は\2,500×400名=\100万だけ。この中から運営者の経費やら地図作成費やらをまかなわなくてはならない。競技に関係のないエリアの調査まで手が回らないし、地図の紙質も落としてコストダウンした。当然、運営者は全員自宅から通って運営だよ。全日本リレー大会は資金的に厳しい状態なんだ。
 いまでも財政状況が青息吐息の県協会が、全日本リレーを引き受けたばかりに、破綻することだって充分ありうる。こんな状況が分かってって、今後全日本リレーを引き受けるところがあると思う?」
山川氏は続ける。
「とりあえず、来年は何とかしてオレも所属している岐阜県OL協会が全日本リレー大会を救おうとしている。\100万しか資金が無ければ、贅沢なんか言っていられない。それなりの資金に見合った地図と運営を用意するまでだ。しかしこれも1回きり。その後の全日本リレーはどうなるか。」

「全日本リレー大会が無くなる・・・・」
そんな事はあまり考えたことは無かった。私はすぐに長野で全日本リレーを開催するプランを考え始めた。全日本リレー大会を存続させるために。

 長野県には地元住民が作る地域クラブと呼べるものが事実上ない。長野県はオリエンティア人口が少ないため、全県でやっとひとつのクラブの規模になれるかどうかというところ。しかもそれすらもあまりにも広域なので定常的な活動は難しい。そんな中で長野県OL協会が長野でのオリエンテーリングの最少集団だとしてもちっともおかしくない。
 そんな長野県OL協会が一つの目標に向かって結束できる行事は全日本リレー大会だけである。全日本リレーの選手を集め、チームを組む。この行為を通じて、他地域の大学に流出している学生オリエンティアと交流できるし、地元信州大学のメンバーとも交流ができるのである。第0回とも呼べるの石川での全国リレー大会からずっと長野県OL協会はこの恩恵を受けてきた。
 他の都道府県協会だって状況が似ているところはいくつもあるはずだ。今こそ長野がその力を出す時ではないだろうか。



【絶対に成功する!】
 ただ開催するからには単純に全日本リレー大会をやるだけではなく、絶対に成功するモデルを作りたい。しかも単に採算的な成功だけではなく、多くの若い力と都道府県協会とがうまく交流できるような大会のモデルを目指したい。

 そうだ! 全日本リレー大会とインカレショートの2daysイベント。場所は・・・菅平高原!  うんうん、これはいいかも知れない。結構イケてるアイデアかも知れないぞ。
 以前より菅平高原からは大きなイベントを再度誘致したいという希望をもらっていた。菅平高原ならこの大きなイベントを2日間開催するだけの地元収容力は十二分にあるし、運営協力も取り付けることができるだろう。運営能力的にはチーム白樺の皆さんが協力してくれれば何とかなるかも知れない。

 インカレショート大会はどんな場所で行ってもほぼ600名の学生動員力を持っている。この学生動員力を持つインカレショート大会と全日本リレーを連続イベントで行えば、学生から全日本リレー大会に参加する比率が増し、全日本リレー大会の参加者増が期待できる。
 しかしそれ以上に期待できるのは、学生オリエンティアと社会人オリエンティアの交流である。学生にとって全日本リレー大会に参加する経済的負担が少なくなり、各都道府県チームに学生が参加しやすくなるだろう。学生同士誘い合って都道府県チームに参加するところもあるだろう。2daysイベントとなれば都道府県選手団側としても学生に声をかけやすくなる。こうして一度築かれた都道府県選手団と学生たちとの絆は、その後の日本のオリエンテーリング界にとって無形の財産になるに違いない。
 さらに、都道府県選手団の選手の皆さんもインカレショート大会を観戦して、同じ都道府県選手団に加わった学生選手に声援を送ってもらえればこれほど嬉しいことはない。

 構想は出来あがった。これを山川氏に告げた。「なるほど」
いつの間にか車は琵琶湖の北岸を滑っていた。湖を眺めながら、この構想の成功性についてぼんやりと考えていた。

 長野メンバーにはこの構想をいつ切り出したのだろう。おそらく翌週、富山での全日本リレーの時に切り出したのだと思う。やはり全日本リレーへの思いは他のメンバーも同じだった。これを説明するのに大した言葉は要らなかった。
 あとは菅平高原側と、チーム白樺メンバーの協力が必要だったがこれもしばらくして了解を得る事ができた。
私はすでに2001年に加賀で行うインカレショート大会の実行委員長を行うことが決まっていた。2年連続のインカレショート開催である。しかも全日本リレーもある。大変かもしれない。しかしホントに大変だったら、後に誰も続かない。大変じゃない運営を行うことが一番大事なんだ。大変じゃない運営をやろう。



【心配事は数多し】
 目の前のことばかりやっていると1年なんてあっという間である。何もしないうちに1年前になってしまった。そんな間にも狂牛病とかいう牛の病気がヨーロッパで流行り始めているらしい。テレインとして借りる牧場の管理者達がナーバスになっていなければ良いが・・・
 菅平高原側の動きは早かった。すでに1年以上も前から牧場との交渉をして、オリエンテーリングで使用する許可書まで取りつけてくれていた。菅平高原旅館組合は、この菅平牧場と包括的な交渉をして、菅平高原の他のスポーツイベントにもこの牧場を利用しようとしている。たとえばそれはマウンテンバイクだったり、陸上競技の高地トレーニングだったり。オリエンテーリングもそのスポーツの一つとして牧場での利用交渉が行われていたのだ。
 長野県OL協会単独での交渉では牧場の利用は非常に難しい。菅平高原での開催はこうしたことが大会準備の負担を大きく減らしてくれる。
 幸い、狂牛病の原因も食物系ということで、オリエンテーリング大会とは関係ないようだ。一安心。

 日程について11月3-4日に行うことだけ決定していて、全日本リレーを前にするのか後にするのかまだ決定していなかった。参加者を多数集めるといった観点から、長野県OL協会側では最初にインカレショート大会を行って、その後全日本リレー大会を行うつもりでいた。
 しかしJOA(日本オリエンテーリング協会)からは11月3日(初日)に全日本リレーを行って欲しいと強い希望が寄せられていた。全日本リレーは日曜日に開催したい。振替休日の開催はイヤだ! というのだ。理由を尋ねると、社会人の中には振替休日は出勤だという人もある、そこで少しでも多くの人が休みとなる日曜日に開催して欲しいというのである。どちらも日本国の法律に基づいた休日であり、その根拠が乏しいと私たち主管の長野県OL協会メンバーには思えた。運営の都合があるのだからそんなことは主管に任せて欲しいよね、というのが正直なところだったが、これは受け入れることにした。
 インカレショートの主催者である日本学連が正式にインカレショートの開催決定を出せない状況に陥ったためである。それは日本学連の危機といってもいい。2001年秋の総会で2002年度の幹事長が未決定という前代未聞の事態になり、学連としての機能が停止しかかっていたのである。
 片や11月3日の全日本リレー大会開催を明確に希望する日本OL協会と、片やインカレショートの開催決定もできない日本学連。どちらの希望日程が優先されるかは明白であろう。
 こうして大会1年前にほぼ日程は明確になってきた。



【地図〜それは調査者の作品】
 当初、地図に関して私は簡単にいくだろうと考えていた。
というのも、1997年に菅平高原大会用に作成された地図がすでに存在し、これで最低ラインの地図は出来ているという認識だったからである。
 ただし、この地図は微妙に歪んでいて、調査者の境界を越えて直進するとズレが気になるという事があることも知っていた。しかし1997年当時の技術ではそこまでが限界だった。

 しかし最後の調査から5年が過ぎ、その間に我々は新しい道具を手にした。天空の基点・GPSによる衛星測量である。
 とりあえずはこの地図の骨格をGPSを使って測量しなおして、この骨格に合わせて地図の各部分で線形変換をかけて地図を修正するという方法を取ろうと思っていた。この方法なら大会半年前から地図調査を開始しても充分に間に合うと思っていたのである。そしてコースの周囲に微修正を入れればとりあえず実用に耐える地図はできるだろうと考えていた。この測量にあたっては最適な人物がいた。チーム白樺の高島氏である。日本のオリエンテーリング界でGPS技術で彼の右に出るものはいない。

 またちょうどその頃、RMOサービスにて高精度なトリンブル社のGPS装置を導入した。さすがに高額な機器だけあって、その精度はバツグンだ。高島GPSとトリンブルGPSを駆使して、2002年の4月から原図調査が開始された。GPSで確定された座標点と今まで作成されたO-mapを元に、次々と細かい原図がコンピュータ上で作られてゆく。そして次々と出来あがる原図を手に、地図調査者がどんどん図化作業を進めてゆく。雪解けから放牧開始まで短期集中調査を行った。

 ここまでは私の思い描いていた通りであった。しかし、実際の地図調査は私の思い描いてた以上の発展を遂げる。
 菅平高原は天空に向けて大きく開けている。このためテレインから捕らえられるGPS衛星の数が多く、その結果、今まで決して手にすることのできなかった精度を得ることができた。地図調査者は目を見張った。なぞるだけの調査はもう終わっている。求められるのは現地をどう地図として表現するかの能力である。

 これは地図調査者のモチベーションを高めることになった。調査者のがんばりと表現能力だけで地図の品質はどんどん向上してゆくのである。何度も重ねられた試走がさらに地図をブラッシュアップする。その結果出来上がった地図は、元の地図とはまったく別物になった。それはもはや調査者の表現作品と言っていい。



【起死回生! 前年比200%!】
 私の目論見としてはこうだった。
 インカレショートは昨年実績から見て併設大会を含めて700名以上のエントリーがあるだろう。うまくすると800名を越えるかも知れない。全日本リレーは昨年実績の400名以上は確実で、予想としては500名、あわよくば600名くらいのエントリーがあるかと想像していた。
 ところがエントリーを締めきって見ると、インカレショートはランナーだけで800名以上。チームオフィシャルを入れた参加者数は880名を越えた。 しかし、それ以上に我々の予想を大きく上回ったのは全日本リレー大会のエントリー数だった。800名強のエントリー。これは昨年実績の2倍にあたる。やった! 
 正直いって学生がこんなに全日本リレー大会にエントリーしてくれるとは思わなかった。学生たちの中にはインカレショートのプレイベントとしての位置付けで出走するランナーも多いだろう。それでもいい。都道府県対抗の全日本リレーをとにかく一度体験してもらいたい・・・そう思った。この時点でこの企画の50%は成功したと私個人は思った。
 さあ、あとは残り50%を完成させ、参加者に満足してもらえる大会を実施するまでだ。


【パワフルな菅平の受入体制】
 今回の大会では菅平OLCの皆さんに大会準備を色々お願いしている。菅平OLCというのは、菅平高原でオリエンテーリング愛好家を受け入れる用意のある宿舎で作られるているクラブである。
 例えば、牧場との交渉、自治体との交渉、施設の借用、機材の借用、ステージの設営、仮設トイレの設営、駐車場誘導、選手の輸送、選手の誘導など、菅平OLCのお世話になったものは、数えればキリがない。これは大会経費の削減に大きく役立っている。また大会役員の人手不足を解消してくれている。
 その代わりというわけではないが、宿泊は菅平OLCにお任せしている。宿泊キャパ1万人と言われる菅平高原のオフシーズンに数百名の宿泊客を2泊分誘客できるオリエンテーリングイベントは地元にとっても魅力的である。
 こうしたギブ&テイクで菅平高原での大会は開催されている。しかし単に金銭的なメリットだけではない。元々菅平高原の宿はスポーツマンを対象にした宿が多い。そこの宿で働く人たちの中は、イベント運営を楽しむ人も少なくない。菅平高原での大会開催は実に多くのメリットを産む仕組みになっているのだ。


【プロフェッショナル運営?】
 今回の全日本リレー/インカレショートは確かに小人数運営であった。しかしその運営メンバーはクラブカップ運営のメンバーとダブるところが多く、もはやプロフェッショナル領域と呼べる運営体制であった。細かい話しは省略するが、フィニッシュレーンでの処理、演出、苦情処理の現場は職人技で切り抜けている。IT技術を使わない運営者にしても、フィールド能力において卓越したナビゲーションと体力で、試走・設置などの作業をどんどん進めてゆく。このような小人数のパワフルなベテランたちと、地元の力を合わせて行われたイベントであった。このような優秀なスタッフが今回のイベントを成功に導いてくれたのだ。


【リレーはつながった】
 全日本リレーの前日にも少量の雪は降りテレインは真っ白になったが、大きく天気が崩れることは無かった。多くの人たちと参加者に支えられて、盛会のうちに全日本リレー大会は閉幕した。きっと多くの人に楽しいレースを提供することができたと思う。きっと何人かの学生はこの大会を目指そうと思ってくれただろう。
 今まで空白だった2003年の全日本リレー大会も茨城県が引きうけてくれることになった。
「リレーはつながった」
 自分の役目は果たせた。
 そうそう、多くのメンバーを運営者で取られてしまった長野県オリエンテーリング協会だったが、そのぶんメンバーが大きく若返り、チームにも活気がでてきた気がする。それはそれで大きな収穫だ。来年はオジサンたちもメンバーに戻って再び楽しいチームが作れそうである。


【山とはそーゆーものである】
  11月3日の全日本リレー大会が終わったその日の夜に菅平高原には大粒の雪が降ってきた。翌11月4日はインカレショート大会なのだが、その会場までは細い坂道が続く。輸送路の確保がまずは問題である。
  11月4日朝5時30分。まだ暗い外に出てみると雪が積もっている。さてどうしたものか・・・。菅平OLCの輸送担当者に電話する。
「輸送バス・・こりゃーダメですね。会場まで上がらないですよ。」
 うーん、こりゃ何か判断しなくちゃならないぞ。しかし役員宿所に居ても入ってくる情報はどうせ細切れだ。えーい、現場に行っちまえ。少なくともここに居るより情報は多いはずだ。会場への輸送路の真下まで行ってみると、すでに地元の凍結対策班が出てきている。
「どうですか?」
「こりゃむずかしいね。スタッドレスタイヤ + 4輪駆動車以外は交通規制だね。だって道を塞がれちゃ困るからね。」
 道路事務所より貰ってきた凍結防止用の塩化カルシウム剤を、菅平OLCメンバーの持つトラクターの肥料散布用のボックスに移し変えながら会話は続く。
「これから塩カルを撒くからそのうち道路は通れるようになるだろうけど、塩カルが効くまでは当分は交通規制だなあ。」
うーん、輸送路が思いっきり細くなってしまったぞ。インカレショート選手権予選に参加者輸送を間に合わせる当初の輸送計画があっさりと崩れ去ってしまった。即座に私は決断して、現場から指示を飛ばした。
「選手権予選1時間順延。それにともなって時間圧縮のためにB-finalを中止」
 B-Finalについては、昨年のインカレショート大会同様に今回もこだわった細工をしていたのに残念・・・
 そのまま大会会場へのアクセス道路下で様子を見る。菅平OLC輸送班による交通規制が開始された。次々と参加者の車が現われるが、スタッドレスタイヤ + 4輪駆動車の装備があるものだけが通行を許される。駐車券があろうが装備の無いものは追い返される。山の天気は気まぐれである。輸送路を塞ぐわけにはいかない。山で行うスポーツというのはそういうものである。


【インカレショート併設大会の中止】
インカレショート併設大会の中止・・・・500名近くが影響を受けるこの重要な決定を下すのに、私は何の躊躇も無かった。
「誠に申し訳ありませんが、参加者の安全確保のため、併設大会を中止します。」
 ステージ上から私が宣言した時、会場は大きくどよめいた。しかしこの判断は正い。そう自分で確信が持てなければこうした判断など下せるはずもない。
「あの決断は的確でした。」と後から色々な人たちからコメントをいただいた。誰もが迷う中止の判断。前日から降り積もった雪だけなら中止の決断はしなかっただろう。中止を決心させたのは、午前9時頃からの急速な天候の悪化。テレインを覆う白い霧、そうホワイトアウト現象と体の芯まで凍てつくあの寒さだった。

 オリエンテーリングはアウトドアで行うスポーツである。山登りだってフィッシュングだって、アルペンスキーだって天気の影響を大きく受け、時には競技の延期や中止が行われている。これほどアウトドアなオリエンテーリングというスポーツがその例外となるわけがない。私は今まで何度かオリエンテーリングイベントを主管してきたが、その時々の天候は当然気になっていた。しかし数をこなしていくうちに思ったのは、
「天候は自分たちの力ではどうにもならない。3回大会をやったらいそのうちの1回は雨のはずだ。10回大会をやったら1回くらいは中止にすることだってあるはずだ。天候が良くても悪くても大会の準備をすることが、唯一運営者のできることなんだ。」

 そう、今回はその10回のうちの1回が訪れた大会だった。これは偶然ともいえるし、今までこれだけ菅平高原で大会をやっていれば必然といってもいい。
 この菅平牧場のテレインはホワイトアウトしてしまうと現在地が特定しにくく、いきなりコース難易度が上がってしまう。特に併設大会に参加する初心者や、学生新人クラスなどオリエンテーリングにまだそれほど慣れていない者にとっては、ナイトオリエンテーリングを行うに等しい。気温の高い時期なら、こうしたホワイトアウトのオリエンテーリングも楽しい思い出になるかもしれない。しかし山は例年よりかなり早く冬を迎えてしまった。気温は低く、テレインをうろつくだけであっという間に体温を奪われてしまう。もしも未帰還者が出てしまった場合、捜索隊を組織してもこのホワイトアウトの中どうやって見つければ良いのだろう。・・・どう考えても危険である。
 こんな天候の中、主管者がある程度自信をもって競技できると判断できるのは各地区予選を勝ち抜いてきた選手権ランナーだけ。そこで選手権クラスはそのまま開催、併設大会はクラスによらず一律中止と決定した。インカレ史上初めて、選手権クラスのみの大会を開催することになってしまった。

 菅平高原までやってきた参加者にとってレースが中止になった残念さはいかばかりだろうか。観客になってしまった併設大会の参加者たち。選手権予選に出場している自校ランナーを待ち、息を白くして声援を送っている。多くの歓声が雪空に消えて行く。
 菅平高原でもう何回もイベントを開催している私にとっては、10回の中の1回かも知れないが、ここに集まってくれている選手たちにとってみれば、偶然の1回に当たってしまった、とても不運だった。
 なるべく多くの参加者に喜んでいただこうと準備したイベントを中止するのは、準備する側としてもしのびない。しかし、参加者の安全を確保するのが主催者の役目。あくまでもオリエンテーリング競技ができるのは、参加者の安全が充分に確保できるという条件が満たされていることが前提なのであって、それが崩れてしまえば競技どころではない。
 救いなのは、併設大会参加者の殆どは前日の全日本リレー大会に参加しており、一度はテレインを走っていることだった。



【寒い中、ハートだけが熱かった】
 こんな寒い天候の中、併設大会中止にも関わらず、会場に多くの参加者が残ってくれて選手権に多くの声援を送ってくれた。選手権参加者も何とかコンディションを整えて、精一杯コースにチャレンジしてくれた。そんな姿を見ていると、凍てつくような寒さも一瞬忘れてしまうようだった。とにかく大会は終わった。今の私達ができる全力を出しきった。一部中止はあったものの、おおむねうまくいったと思う。
 最初は全日本リレーの存続を軸とした構想でスタートした今回の企画だったが、多くの賛同者、多くの協力者、協力団体を得る事ができて大きなイベントをやり遂げることができた。
 みんな、ありがとう。おつかれさま。特に地元のテレインを提供頂いた方々には感謝は尽きない。


【未来に向けて】
 今回の菅平高原のイベントは今後の日本のオリエンテーリングシーンにおいて一つのマイルストーンになったかも知れない。
 実は、春のインカレも変化しようとしている。現在日本学連が進めているインカレ改革プロジェクトによると、今まで、ロングディスタンス(個人戦)とリレー(団体戦)の2日間イベントだったのが、2004年度からミドルディスタンス競技(今までショートと呼ばれていた競技)とリレー競技の2日間イベントに移行する予定である。
 今回の菅平高原のイベントは、偶然にも2004年度からの春のインカレの運営パターンを先取りした形になった。日本のオリエンテーリング界を引っ張ってきた春のインカレの運営形態の変化は、そのまま日本のオリエンテーリング界に大きな影響を及ぼす。
 日本のオリエンテーリング人口は減少している。各種イベントもオリエンテーリング人口減少にともなう運営のダウンサイジングと効率化を強く求められる時代になった。これができるイベントは生き残れるし、対応できないイベントは否応なしにいずれは消滅する運命にあるだろう。
 今回の菅平高原のイベントでは今後のオリエンテーリング大会のありかたの一つを、多くのオリエンティアの皆さんに示すことができたと思う。そう、この原稿での解説を含めて。
(おわり)木村佳司


菅平ロゲインチャレンジに参加して
鳥川秀司
9月15日に菅平高原にて「菅平ロゲインチャレンジ」が開催されました。ロゲインチャレンジは簡単に言うと、時間の長いスコアOLのようなものです。A3サイズ「信州菅平高原」を使用して、3時間走り続けました。といっても途中から歩きましたが・・。このレースは体力差がモノを言います。来年の5月にも開催するそうですので、体力自慢の方は是非参加してみてはいかがでしょうか。

翌日は全日本リレーのMEクラスのセレクションが開催されました。雨が心配されましたが、スタートが近づくと雨は止み、良好なコンディションでのレースとなりました。

日時:2002年9月16日
場所:菅平高原
地図:「ダボスの丘」

1.内田奉克  41.37
2.立花聡  42.42
3.加々美健朗  45.08
以下オープン参加
4.蓬莱真子  76.10
5.鳥川秀司  81.55
 6.目黒一夫  不明


O-CUP2002に参加して
木村佳司
長野県富士見町で開催されたO-cup2日間大会に参加してきました。久しぶりに走る「富士見の森」は道なんてなかなか使わせてもらえず直進ばっかりでレースを進めた気がします。久しぶりのオリエンテーリングで今でも体中の血がグルグルと回っている感じです。やっぱり富士見の森は長野県三大テレインのひとつという感じですね。すばらしいテレインでした。2日間のレースを地元で楽しませていただいた東京OLCには感謝します。

個人的には、1日目はまるで歯が立たなかった元木友子(WE)に、2日目のタイムだけ結果的に辛うじて勝ててしまったというのが、ちょびっとうれしい。(WEとM35Aは同じコース)  今回は天気が良かったですね。1300mの高原は汗ばむくらいでした。紅葉は八ヶ岳の山頂から降りてきて、テレインの中にはベニテングタケがニョキニョキ生えていて、秋を感じさせてくれました。

鳥川秀司
O−CUP2日間、楽しめました。しかし、何年ぶりかにエリートクラスを走ってしまったため、2日とも2時間オーバーのダントツのビリでした。まあ、無事完走できてよかったです。
ちなみに、1日目は全日本リレーの男子セレクションが併設され、倉沢、降旗両氏が代表に選抜されました。


JOA規程集発刊
2002年度の規程集がJOAより発刊されました。競技規則から始まり、地図図式規程までが綴られています。日本のオリエンティアとしては是非、持っておきたい一冊です。
希望者には1500円(本代1000円、郵送料手数料500円)にて販売いたしますので、事務局鳥川までご連絡ください。


編集後記
・地元での全日本リレーが無事終わり、その脱力からか、協会報の発行が遅れてしまいました。申し訳ありません。
・全日本リレーでは競技中にコンパスを落としてしまいました。しかも1番ポストの前で。競技を始めて15年になりますが、コンパスを落としたのは初めてです。おかげでレースは散々でした。
・今年度より会費の複数年一括支払いが可能となりました。是非、便利な複数年登録を!
・今回よりOL界唯一の業界誌、「O−マガジン」を協会報に同封することにしました(協会報より厚いけど)。日本のOL界の現状を知っていただけると思います。
・長年、会長を務めていただきました、吉沢文雄氏が勇退されました。私とはだいぶ世代も違いましたが、OLに対する姿勢や考え方を勉強させていただきました。長い間、ありがとうございました。(鳥川)