長野県オリエンテーリング協会報
2000年度No.1
2000年06月08日


INDEX
総会のお知らせ
競技者登録制度受付開始
競技者登録Q&A
平成11年度全国オリエンテーリング指導者研究協議会
全国一斉オリエンテーリング大会長野会場
菅平高原スキーO大会2000 報告
第23回長野県オリエンテーリング大会
全日本大会感想
ワールドカップin静岡
医療機関連合教育担当者研修会
伊那市 ますみヶ丘を整備へ
北信越メーリングリストの開設案内
今後の予定について



総会のお知らせ
平成12年度長野県オリエンテーリング協会総会
日時:6月17日(土)13:00-
場所:須坂市勤労者研修センター 中会議室
長野電鉄須坂駅より徒歩7分。
車の場合は須坂長野東ICより10分 駐車場30台

会場:須坂市勤労者センターへの地図はこちら

 多くのかたの出席をお願いします。
 出席の場合、欠席の場合も同封のハガキでお知らせください。
なお、総会に出席できない人は、必ず同封のハガキなどの方法で委任状を提出してください。総会の成立には委任状を含めて過半数の出席が必要です。よろしくお願いします。 

 総会のあとの夕方では懇親会もやりたいです。遠方の方には宿泊プランを考えます。

翌日曜日は全国一斉大会です。須坂市の臥竜公園でオリエンテーリングを行います。ニューマップです。たくさん参加してください。

総会出欠ハガキについて
 総会出欠ハガキとともに住所変更などについての調査も行います。2000年度長野県オリエンテーリング協会名簿を同封しますので、記述に間違いがある場合は出欠ハガキに記入するか、担当の木村までご連絡ください。

 また、今年から競技者登録制度が始まります。ハガキには長野県に競技者登録するかどうかを記入していただきます。このハガキに競技者登録するかどうかを調査したのち、競技者登録する方には長野県オリエンテーリング協会の登録料金(一般:\3000学生\2000)+ 競技者登録料金\400(長野県の場合)の請求の入った振込用紙を後日お送りします。

全日本リレー大会の選手権クラスに参加しようとする人は必ず競技者登録してください。


競技者登録制度受付開始
 来年度より日本オリエンテーリング協会の公認大会に参加するには「競技者登録」が必要になります。(Nクラス除く)よって、必ず、どこかの県に所属することになります。
登録先は居住地OR勤務地です。学生は出身高校所在地での登録も認められています。

 競技者登録を行わなくても、エリートクラス以外の参加者は一時登録ができます。(大会1回参加するごとに200円必要)
 要するに年間2回以上公認大会に参加する人は年間登録した方が安いことになります。エリートクラス(全日本リレーもね)に参加予定のある人は必ず年間登録が必要です(要注意)

 長野県オリエンテーリング協会では当面以下のように競技者登録制度を運用してゆきます。

申込期間 2月1日-7月31日
登録料  \400 (連絡費用込み)

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申込方法
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長野県OL協会加盟員
総会の出欠ハガキ、あるいはemail、電話、その他の手段で事務局まで登録の意志を示す。
県外在住者は勤務先を通知する。
その後、長野県OL協会の年会費と一緒に納める。
登録後、ハガキによって登録番号が通知される。

一般
事務局まで下記を知らせ、費用を事務局まで支払う。
氏名、性別、生年月日、
郵便番号、住所、電話番号、(e-mailアドレス)
勤務先、勤務先住所
申込方法は支払い方法は、事務局に直接渡すか、定額為替を利用した郵送とする。
登録後、ハガキによって登録番号が通知される。

 


競技者登録Q&A
Q どんな人が登録するのですか。
A JOAが主催または公認する大会のNクラス以外のクラスに参加する人が登録します。

Q 登録しないとどうなるのですか。
A エリートクラスと選手権クラスに出場しようとする競技者が登録していないと、JOAが主催または公認する大会への出場は認められません。その他のクラスに出場する場合は、大会参加に際して「一時登録」をすれば認められます。

Q 私はAクラスの出場者ですから、わざわざ年間登録をしないでも「一時登録」で出場でき、同じことですね。
A 同じといえば同じですが、登録料は違ってきます。当面年額300円ですが、「一時登録」の場合は、大会ごとに200円の登録料がかかります。また、「一時登録」者には競技者登録番号は与えられません。
(\300は実際に日本オリエンテーリング協会に支払われる金額です。長野県の場合、\400を集め、差額の\100は登録者への連絡費用に使用しています。)

Q 私はBクラスに出場しています。やはり登録が必要ですか。
A 公認大会で、N(初心者)クラス以外のクラスに参加しようとする場合は、登録が必要になります。

Q 登録の手続きはどうするのですか。
A 事務局までご連絡ください。支払い方法と登録番号などを相談させていただきます。
長野県オリエンテーリング協会事務局 
鳥川秀司  0266-26-7323
〒393−0082 長野県諏訪郡下諏訪町西弥生町4928
三協精機西弥生寮1-G

Q 私は新潟県に居住していますが、長野県協会に申請することができますか。
A 勤務先が長野県内にあれば申請できます。また、学生や生徒の場合は学校の所在地が都内にあれば申請可能です。また、専門学校・大学・大学院等の学生に限り出身高等学校が長野県内にあれば、希望により長野県に登録することもできます。

Q 私は山梨県に居住し、勤務地が長野県にあります。山梨県と長野県の両方に申請してもかまいませんか。
A 登録は一都道府県にしてください。また、年度の途中で登録先を変更することもできません。

Q 申請の時期はいつ頃ですか。
A 毎年、前年度の2月1日(今年は平成12年2月1日)から当年度7月末日(今年は平成12年7月31日)迄に申請します。


平成11年度全国オリエンテーリング指導者研究協議会の資料から
1.本年度は長野県は都合がつかず欠席。
2.研究協議は「全国一斉オリエンテーリング大会の開催について」
     この件に関しては、木村さんの北信越クラブ連絡協議会総会報告に任せる。
3.平成12年度のJOA主催事業は
    全日本大会  3月25日  宮城県
    東日本大会  11月15日  群馬県
    西日本大会  熊本県(開催返上:中止予定)
    全日本リレー大会  11月1日  富山県
    ワールドカップ併設大会  4月15〜16日  静岡県
4.公認大会愛知県協会  5月4日
    公認大会東京都協会  11月26日
5.今後の予定
    平成13年8月  ワールドゲームズ  秋田県
    平成17年9月  世界選手権   愛知県


全国一斉オリエンテーリング大会長野会場
日時:2000年6月18日(日)
場所:臥竜公園 正面入口(長野県須坂市)
長野電鉄須坂駅下車 徒歩30分
上信越自動車道 須坂長野東インターより車で10分 駐車場あり
受付:9:00-10:00(当日受付あり)
競技:ビンゴオリエンテーリング
参加料:ひとり\500 未就学児無料
問合先:丸山茂樹 026-246-2467

会場の臥竜公園までの地図はこちら

すでに日本オリエンテーリング協会への申込は締めきられていますが、
当日受付もありますので、どしどしお気軽にご参加ください。
この場合、前日でもいいですから事前に連絡いただけると助かります。
木村佳司 090-3333-0893  または丸山 026-246-2467 まで。


菅平高原スキーO大会2000 報告
木村佳司
競技は悪天候で中止
 3月20日(祝)に予定されていた菅平高原スキーO大会2000の競技は悪天候のため中止した。はるばる遠方から来られた参加者には大変申し訳なかった。ここではこのイベントのリーダーを務めた木村がその大会の状況を報告する。

競技中止を決めたプロセス
 競技前日の夜から朝までに10cm以上の新雪が積もる天候の中、朝になっても天候が回復しない。午前7時ではまだ地吹雪が舞い、屋外に出るのもおっくうな状態である。
 この中、まず最初にコースの状況確認のため、当イベントの競技担当者の元木がコースを試走に飛び出して行く。木村も参加者の集まる8時をめどに集合地点の奥ダボススキー場に自家用車で向かう。
 しかしながら道路にはたっぷり積雪があり、会場に向かう登り道の途中で木村の車はスタックし、雪に閉じ込められる。この時点で、競技開始2時間延長を決定し、携帯電話にてホテルに連絡する。幸い、参加者の半数以上は役員と同じホテルに宿泊しているため、ホテルの館内放送でこれらの方には連絡は徹底できる。

 さて、木村は一旦ホテルに戻り、同じく役員の丸山の4WD車に載せてもらって再び会場を目指す。この頃から、天候は徐々に回復し、ホテルの周囲の天候は落ち着きを見せる。先ほどスタックした登り坂も除雪車の登場によって楽に登れるようになっていた。
 「うーん、何とか競技できそうな天気になってきたねー。」
そんな言葉も現われてきた。しかし、そんな状況も標高1300mあたりまでだった。

 標高1400mの会場に到着。当初の参加者集合予定時刻の8:00だ。会場は濃い霧に包まれていた。すぐ近くの木が数本みえるだけで、そのほかはさっぱり何があるのか見えない。視界20mといったところだろうか。そんな中、参加者が数人集まっていた。
「ホントにやるんですか?」
「とりあえず、2時間スタートを遅らせます。その後の判断はもう少し待ってください。」
「わかりました。」

 会場となる雪原に足を踏み入れた。ゴール予定地とレストハウスは至近距離である。ところがゴール予定地まで進んで、後ろを振り返ってもレストハウスは見えない。すぐそこに見えるはずの最終コントロールの立ち木すら見えない。完全にホワイトアウト状態である。雪山による遭難事故の原因として一番多いとされているのが、このホワイトアウトである。
 会場横のスキーリフトの営業が開始される時間になった。しかしこの悪天候の中、誰もリフトに乗ってなんかいない。

 天気予報によると、これから午後にかけて天候が回復するという。しかしあくまでも天気予報は平野部を中心とした予報であって菅平高原のような山岳では、天気予報は参考としながらも天候の判断は最終的に自分で下すしかない。問題はいつ天気が回復するかである。

 車の中で天気を見守る。霧の状態は一進一退を繰り返す。電話連絡によると標高で200m下のホテルではすでに天候は回復しているという。それでもここはすっぽりと霧の中。風も吹いている。
 バス運行のタイムリミットとなった9:30、天候は回復しなかった。また同時に強風のためスキーリフトも運転が止まってしまった。これ以上結論を引き延ばすことはできない。この時点で競技の中止を決定し、集まった参加者に伝え、ホテルに電話連絡した。

 皮肉なものである。この時から30分もすると少ひづつ天気が回復してきた。あれほど悪かった視界も徐々に良くなってきた。11:00ではほぼ天候が回復し、13:00には太陽も顔を出す天気となった。

 中止決定と同時に参加者に対して競技に使うはずだった地図の配布を始めた。それを受け取った者の大半は天候の回復したテレインに出て、新雪の積もった雪原を駆け回っていた。主催者としては、バックカントリー(テレイン)に入る場合は、事故防止のため、必ずペアで行動するよう求めた。受け取ったコース図を使って参加者同士でタイムトライアルなども行われたようである。クロスカントリースキーだけでなくスノーシューを使って走った者もいた。

 結果的に、競技を強行しようと思えばできたかも知れない。しかしテレインは根子岳の山腹に広がる標高1400m-1500mの高原である。今回のテレインはクロスカントリースキー用に管理されたフィールドではない。いわゆるバックカントリーであり、我々の管理下にはない状態である。こんな中、ホワイトアウトしたり地吹雪の状態ではどんな危険があるか判らない。こうした環境で事故が起これば主催者である我々でさえ、手の出しようがないのである。
 こんな中で参加者の安全を100%確保するためには、今回の判断はしかたなかったと思っている。それは、オリエンテーリングはアウトドアスポーツだからである。

3月19日のモデルイベントとGPS
 競技に先立ってモデルイベントが開催された。これは菅平高原ダボススキー場の中の比較的平坦な部分を使って、そこにコントロールを設置してそれを参加者が自由に回ってトレーニングするというものである。このモデルイベントではGPSを使用したちょっとした実験が行われたのでこれを紹介しておこう。

 まず、参加者にGPS受信機と携帯電話を身に付けてもらい、この状態でモデルイベントのコースを走ってもらう。いっぽうモデルイベントの受付が置かれたホテルのロビーにはパソコンを設置し、ここから電話回線を利用して参加者の携帯電話に電話をかけ、定期的に位置情報データを取得する。これをパソコンの画面に表示された地図上に表示する。今回はさらに液晶プロジェクタを使用して、パソコンの画面をホテルのロビーの壁に拡大投影した。

 スキーヤーの現在位置、通った軌跡、現在の向かっている方向、速度などがほぼリアルタイムにスクリーン投影され、スキーヤーの動きがほぼ確実に掴むことができた。今回は最高速度38kmなんて表示される瞬間もあり、さすがスキーOは下りは速いなぁなどと歓声があがる光景もあった。

 今回使用したGPS受信機は重さ50グラムほどの超小型のもので、携帯電話と合せても非常に軽いものであった。スキーオリエンテーリングでは、マップケースを体に装着して競技を行うため、これに追加してGPS受信機を装着しても、それほど気にならないようだ。

 今回、予算の問題などから1つしかGPS受信機が用意できなかったが、これを複数個用意すると、現在のレース状況が会場側からほぼ完全に把握されることになり、使い方次第によってはとても楽しい道具となりそうである。

 また、GPSはO-map調査の道具として、一部ではすでに実用化されつつある。これが調査において一般的になる日も近いだろう。


SKI−O大会参加記
2000.3.26 美谷島 孝
 母が雪国育ちの為か、私も生来雪に戯れることが大好きである。久しぶりのSKI−O。選手として参加したいのはやまやまだが県協会主催、そして役員の任期中であるが故、実行委員のお手伝いをすることにして2日間臨んだ。

 初日、ホテル白樺荘に着いたのは9時半。ロビーでは既にGPSデモを高島さんが行っていた。説明によると、OLerにGPSと携帯電話を背負わせ、ロビーよりアクセスすることによってその位置をパソコンに取り込み、プロジェクターで映しているのだそうだ。OLerの移動速度も表示され、一般の人がOLに関心をもつ手段として、又、OLerにはもう一つの楽しみ方として今後活用されるのではないかと推測した。

 木村さんによると運営準備は既に完了しているということなので、モデルコースに入ってみた。滑走してくるスキーヤーに遠慮しつつ開脚登高でゲレンデを登ったり、首から地図を吊り下げ細身のスキーで暴走したりする姿は、スキーヤーには奇異に映ったに違いない。スキーヤーの中にはポストフラッグに近づいてパンチを手に取って、しげしげと見ている者もいた。12ケのポスト、標高差200mのコースで一汗かいたが、青空のもと景色もよくさわやかであった。

 午後、元木さんのセットしたMBクラスを試走。幅広のノーワックススキー、トンキン竹のストックにロングスパッツの出で立ちは走ると言うより、むしろハイキング風。マップとリストコンパスだけが、OLerを思わせる。晴天のもと、気温も上昇し選んだスキーは“当たり”だった。自然がおりなす造形の美しさ、遠望する山々の偉大さにあらためて感激しながら1時間程かけてまわった。コースはゲレンデ内をクロスしているにもかかわらず、それを感じさせない味わいのあるすばらしものだった。

 2日め。7時前に自宅を出発。昨夜からの雪で須坂市から菅平への道は除雪もしてなく、ふきだまりがあったり、視界も悪く難行。それでも8時にはなんとか白樺荘に着くことができた。「スタートは2時間遅れ」の伝達を受け、集合場所にて天候の回復を待つ。しかしスキーリフトが停止するほどの突風が吹いたり、視界が全くきかないホワイトアウト状態になり不安定。その間、ゲレンデの偵察にでかけてみた。コンパスにより方角はつかめるが視認できる物がないので距離感がない。下りはスピード感覚がなく移動距離が定かでない。4ケのフラッグを確認して戻る。競技を実施するか否か難しい状況であり、時間がせまった9時半、実行委員長の判断でやむえなく競技は中止。参加者からクレームもなく納得していただいたようだ。参加者にマップが配布された。

 10時過ぎになると皮肉にも見通しが良くなってきた。仕事がなくなった私は、綱をとかれた犬のごとくMAのマップをもってコースにとびだした。(犬は雪が好きである)約15cmの新雪なので、ノーワックススキーを使用。練習のつもりでコンパスの指示通り直進につとめる。急登があってもかたくなにう回せず開脚で精力的に登る。古いパンチは劣化して開き方が浅く、コントロールカードを入れにくい。また、針に雪が埋まり氷っているものもあり、次回は良いパンチを選ぶ必要がある。

 13時、通達通りフラッグの回収に出た。天候の回復した中、何人かのOLerがコースを廻っていた。参加者は競技ができなくて残念だっただろうが、こうしてコースを廻ることができたのはせめてもの慰めとなろう。
競技の中止は、ここまで準備してきた実行委員が参加者以上に残念に思ったに違いない。

 来年は、いずれか晴れるだろうと2日間2レースを企画するというので、再度この菅平の大会に大勢参加してほしいと願う。私も何らかの形で協力したいと思っている。


スキーO大会感想
丸山茂樹
 運営に関しては、当日適当に言って適当に手伝うという丸山お得意のあまりよろしくないやり方でしたので特に感想はないです。願わくば晴れてくれれば、それは残念ですね。中止というのは個人的には妥当な判断だったと思っています。運営に携わった木村さん、元木さん、山浦、美谷島さん、どうもご苦労さまでした。

 まあ、それよりも何よりもスキー-Oにふれるのは初めてだったので、そちらの方が新鮮な印象として残っています。人も、雰囲気も何か違う。人数としてはかなりの小規模ですが、よくその辺で見かける顔もあり、そうでない顔もあり、何か不思議な感じがしました。皆さん顔見知りのようで(当たり前といえば当たり前か)、とても楽しそうなのが印象的でした。

 そして僕はスキー-Oどころかクロカンスキーも初めてだったので、よい経験になりました。まあ、アルペンスキーは小3の頃からやっていたので何とかなるだろうと高をくくっていましたが、いやあ、何ともならないですね。足下が不安定でうまくスケーティングができない。下りで止まるとか、曲がるとかは、まあ何とかなるのですが、進むのが何かばたばたした感じになってしまいます。特に「前につんのめる」という感じは足首の固定されているアルペンスキーではなかったので、それが一番の違いなのでしょう。かといって後ろに体重を掛けるとしりもちをつくし、難しいです。

 スキー一式を買うことになったので、来年はもう少し練習をして臨みたいですね。練習環境はいいはずなので、まあ、トップを目指すとは言いませんが攻めて浪速包丁恋月夜の連中とは互角の勝負をできるぐらいにはなりたいものです。


スキーO大会感想
元木悟
 菅平牧場を使ったトレイル無しのSki-Oミニ大会(合宿)が、昨年の3月最終週に10名程度が集まって行われた。このミニ大会は、いつもSki-O大会を企画・運営している日本Ski-O研究会のメンバーも、大会形式で楽しもうといった話しから企画されたものだったと思うが、これが結構面白かった。
時には雪の無いところもあったが、Foot−Oの感覚で菅平牧場一面を自由に滑走でき、ちょっと油断すると、コントロールから大きくずれてしまうため、直進技術も必要となり、Ski-Oには無い技術が要求された。
 是非、来年も継続して行いたいという話しになったが、今年はFoot-Oの全日本大会が1週間繰り下がったことにより、連休に開催できる運びとなった。

 私は競技を担当することになったが、コースセットは、小人数運営にも耐えられるようにと、ゴルフ場の中をクロスさせて、楽しく組んだつもりである。残念ながら、悪天候により大会は中止となってしまったが、また機会があれば楽しい大会を企画し、面白いコースを組みたいと思う。


第23回長野県オリエンテーリング大会
5月13日-14日 長野県菅平高原
大会実行委員長  木村佳司

 5月13日-14日の2日間、菅平高原にて第23回長野県大会が開催されました。運営された皆様、参加された皆様、おつかれさまでした。

 昨年、菅平高原のつばくろスキー場を中心に開催された第22回長野県大会はクラブカップとのタイアップで640名もの参加者を集めました。ところが今回のイベントでは一日あたりの参加者が100名以下。前回と比べると随分と少ない参加者でした。

 思えば、我々は今まで実力以上の規模の運営をやりすぎていたのかも知れません。いつも大会運営というと運営メンバーにはかなりハードな作業をお願いしていました。ところが今回は運営者達が拍子抜けするほど楽な運営だったと思います。今度は運営者達が楽しめたイベントになったのではないかと思います。参加者との距離が随分近い大会でした。

 そのため採算面はかなり厳しくなりました。いつもなら大会利益から全日本リレーの参加費用を捻出するのですが、今回は全く余裕がありません。

 今回のイベントの発端をお話しましょう。
 菅平高原では今まで数々のオリエンテーリングイベントを行ってきました。菅平高原はアクティブオリエンティアの間ではすっかりお馴染みになってしまった感があります。そんなオリエンティアの中で、菅平高原で最も人気の高い地域が、根子岳、四阿山山麓の牧場地域です。
 しかし、ここの殆どの地域は夏の間は放牧が行われていて、オリエンテーリングの利用はできません。そして冬はきびしい雪に閉ざされる・・・そんな季節の僅かな隙間を縫って、牧場を使ったオリエンテーリング大会は行われてきました。これから牧場が雪に閉ざされるころには大会の許可が出ることはありましたが、春はなかなか許可をいただくことが出来ませんでした。

 そんな中、毎年恒例の行事である菅平高原MTB大会と同時開催なら牧場からの許可がいただけるかもしれない、オリエンテーリングももう数年の実績もあるし、牧場側もオリエンテーリングについて多少は理解をいただけたのではないか。というアイデアが今回の企画の原点となりました。
 それに実際、昨年の菅平高原MTB大会ではMTB-Oクラスが設定され、MTBを使ったオリエンテーリングが5月に行われた実績もあります。

 今年はオリンピックイヤー、しかもMTBがオリンピック種目入りを果たしたということで、このシーズンはMTBのオリンピック日本代表の選考会が開催されることになりました。その選考会レースの一つとして菅平高原大会が指定され、開催日もシドニー選考の都合上、5月13-14日に決定されてゆきました。

 そんな中、長野県協会の元木君と山浦さんが結婚することになり、彼らの思い出の地でもある菅平高原で挙式をして、多くのオリエンティアにパーティに参加していただきたいという話が持ち上がり、これが13日夜のパーティとして行われました。また、協会行事とは別になりますが菅平高原の中で彼らの思い出の地を巡るマリッジ-Oが企画され、これも多数の参加者が参加いたしました。

 このように5月13日から14日の間に菅平高原で色々な行事が行われました。なかなか把握しにくいでしょうから、これらを列挙してみます。
  ・ 菅平高原MTB大会(菅平自転車倶楽部)
  ・ MTB-O(13日・菅平自転車倶楽部・OL協会)
  ・ 菅平牧場でのフットO(13日・OL協会)
  ・ ダボススキー場でのフットO(14日・OL協会)
  ・ 元木・山浦結婚パーティ(13日夜)
  ・ マリッジO(13日-14日)

 実際の大会準備の作業はゴールデンウィークを使って集中的に進めました。今回はMTB大会との兼ね合いがあり、牧場使用におけるさまざまな制限事項や、MTB大会のシドニー予選コースとの兼ね合いや一般コースとの兼ね合いによる制限事項など、コースを組む上で実にさまざまな制限事項がありました。
 しかし、オリエンテーリングはいつもこうした制限事項を多かれ少なかれ受けているものです。こうしたコースを組む上での制約が多い中でもそれなりのコース設定ができたと思っています。使える範囲や横切る箇所での制約は確かにありましたが、テレインが良質のため、自由に使える範囲内では、通行可能度などの制約はほとんどありません。

 これで、根子岳山麓では春・秋・冬のオリエンテーリング大会を行ったことになります。しかしいくら良質なテレインでも、同じ所で続けていれば魅力は徐々に薄らいできます。こうした中でどのようにこれから魅力付けを行ってゆくかが、今後の課題となっていくでしょう。


全日本大会感想
2000年3月26日 福岡県宗像郡
丸山茂樹

 福岡市の長浜で、とあるラーメン屋に入りました。席に着いて壁に掛けてあるメニューに目をやっていたら、もうラーメンが来てる!?メニューはラーメン(400円)と替玉、替肉と飲み物のみ。安くておいしかったのですがこれには驚いてしまいました。麺をすすりながら他の客の様子を伺っていると、席に着くなり意味不明の言葉を投げかけている人がちらほらいます。よくよく聞くと、これはゆで方やスープの味付けに対する注文のよだったんですね。なんて言ってるのか聞き取れませんでしたが。うーん、これぞ本場の世界だなあとちょっと感心してしまいました。

 何の話かよくわからなくなってきましたが一応全日本の感想です。僕遠征には本当に弱く、泊まりがけで出かけたようなレースにはよいものがほとんどありません(含むインカレ)。それに比べれば、日帰りで参加したレースは比較的よい成績を修めています。

 まあ、理由は自ずとわかってきそうなものですが、それでもこの日のレースは出だしはいい感じでした。が、3番での1つのミスがあまりにも大きく(推定10分以上)、それでほとんど終わってしまった感じです。ただ、その後も気を取り直してがんばってレースをしたので、もう一つ2分ほどのミスをしましたがもたつきながらもちゃんとした走りができました。結果が出ないとわかった段階であきらめるという方法もあったのですが、さすがにこんなところまで金と時間を使ってきているのだし、ここでやめたら得るものが何もないと思って気合いを入れ直したのはよかったと思っています。
 エリートとかでもよく途中でやめる人がいますが(事実今回の全日本の選手権クラスでもそのような人は多く見かけられた)、そんな人は見かけはエリートっぽくて事実実力があったとしても、本当に強い選手(日本代表とか)にはなれないのでしょうね。

 話が少しそれましたが、テレインは走りづらいものの結構よかったですね。竹がすごく目立っていましたが。植生はよくわかりづらいというのがほんとのところですがこういう山で可能度を入れるのは大変でしょうね。全体的に荒れたレースになったようでそれだけタフで難しいということなのでしょう。
 ま、どんなレースでもE権が取れればよかったのですが、これで来年度も21Aで修行と言うことですね。


全日本大会感想
2000年3月26日 福岡県宗像郡 
元木悟

 福岡県で開催された全日本大会に行ってきた。
私は土曜日から月曜日まで神戸大学で学会に出席し、土曜日午後が会議で、月曜日午前が講演という日程だったため、日曜日だけ福岡県に立ち寄って出場した格好である。

 テレインは100万人の北九州市と福岡市の中間にある宗像市に位置し、選手権クラスM21Eは主要道に囲まれた大きな山を八の字に回るコースが組まれた。
 テレイン的にはまずまずだと思うが、地図調査、特に可能度の取り方がやや甘く、走りにくい竹林が多く、コースは概ねタフであった。

 私は学会途中の講演前で、前日まで福岡県に行こうかどうしようか迷っていたこともあり、レースになっても気持ちがのらず、トレーニング不足で走れなかったが、他のエリートはミスが多く、終わってみたら13位くらい。また、昨年同様、1分ちょっと程度で、来年の全日本E権を逃すことになった。
ただ、1コントロールで大爆発し、久々に現在地ロストして、恥ずかしながら素人さんに場所を聞いたので、大会本部には失格扱いのお願いをしてきたが、受け入れられたのだろうか? 

 来年も全日本開催が1週間遅れらしいので、また学会に重なるかも? こういう時に、気持ちを全日本に向けるのは難しい。
取り敢えず、平成12年度も全日本E権目指して、公認大会を走るつもり。


ワールドカップin静岡
4月14-16日 静岡県富士市
ワールドカップ特別取材班  木村佳司

 ワールドカップが初めて日本で行われた。世界のトップランナーが富士山麓に集結した。最初、私は一参加者としてワールドカップにいく予定だった。しかし、主催者である静岡県OL協会のインターネットによる広報(特に英語版)が後手に回っているのを心配した人が、ワールドカップ特別取材班を作るというので、競技をあきらめて私もそこに参加した。

 今やインタネットのwebによる広報は世界的な常識となっている。富士山麓でいかに素晴らしい競技が行われたとしても、それが広報されなければ、世界の人たちにとって、無かったのと同じになってしまうのだ。

 かくして静岡県協会のワールドカップオフィシャルページを殆ど乗っ取る形でwebを再構成した。そしてモデルイベントの会場や森の中での写真撮影、そしてモバイル環境にて一気にアップロード。

 土曜日の個人戦では特別プレス扱いでスタート地区での選手撮影。ずぶ濡れで会場に帰ると、そこではスイス人のヨルクによる英語取材、その場でのウイニングルートのスキャン、モバイル環境でのwebページ作成。そして時間をおかずにすぐに日本語ページを作成。

 ワールドカップが終わった直後も、撮影した森の写真の編集と公開。なかなか激しい、刺激的な日々を送った。
この成果はインターネットwebページを見てください。
http://www.orienteering.com/~wc2000jp/

で、大会はどうだったかというと、日本一難しいテレインに世界最高水準の地図とコースが用意されたということは判っているのだが、自分が走っていないため、結局それを実感することなく終わってしまった。
やはりヨーロッパ人は速いなぁ! というのが感想。


医療機関連合教育担当者研修会
2000年5月17日 松本市
美谷島 孝

 長野県民主医療機関連合会の事務局から教育担当者研修会においてオリエンテーリングもしくはウオークラリーを教えてほしいと依頼があった。長野市体育課の紹介だそうだ。
 研修会は5月16、17日、浅間温泉で開催され1日めは、生協の理事さんの硬いお話で2日めに野外活動が割り当てられた。
私は参加者にウオークラリーとオリエンテーリングの違いを理解していただくために、双方体験してもらうスケジュールを組み実施した。

 当日、ウオークラリーの説明(考案の発端、コマ図の見方、作成の方法、課題の作り方等)を1時間行い、実技はホテル周辺でコマ図数13、規定時間13分のコースで実施。
 OLについては、お決まりの地図とコンパスの説明を1時間。昼食後アルプス公園にてコース距離2kmのポイントOLを体験していただいた。
参加者は、婦長、検査技師、教育委員の方々で県内各地から26名の参加であった。講習前、「ウオークラリーなら病院敷地内で明日からでもできますよ」「コンパスの使い方をマスターすれば、森に逃げ込みストーカーを振り切ることができますよ」と言った冗談も、研修終了後納得していただいたようだった。

 依頼を受けた日から研修会までわずかな期間であったが、幸いにして「O−MAPアルプス公園」がweb上にあることを木村さんから教えていただいて、研修会に利用することができ大助かりであった。また、準備期間内に連休があったので下調べや、資料作りもでき準備万端で研修会に臨み、好評のうちに終了することができた。
 私は、参加者が今回体験したことを各病院での今後の活動に役立つことを願っている。


伊那市 ますみヶ丘を整備へ
信濃毎日新聞2000年3月15日 諏訪伊那飯田広域版より

平地林100ヘクタールを保全
市民が手入れ 公園に

 伊那市は2000年度、ますみヶ丘に広がる100ヘクタールの平地林の保全事業に取り掛かる。かつて民間のゴルフ場開発が持ち上がったが、市民の反対なとで中止となり、手入れされずに荒廃が進んでいる。市は、土地の購入や賃貸借を進めながら、遊歩道やあずまやなどを整備し、森林公園として活用する考えだ。

 平地林は現在、同市を中心とした約280名の地権者が所有している。ただ、林を自ら管理している地権者は一部で、多くは、農林業とは別の職業に就いている。このため下草が伸び放題だったり、枯れ木が倒れたままの場所も多い。

  1987年に浮上したゴルフ場開発計画には約9割の地権者が賛同したという。計画そのものは、一部地権者を含む市民の反対運動などで92年に廃止になった。が、荒廃する平地林の対策は棚上げになっていた。

 伊那市は土地取得を3年をめどに勧める計画で、「土地を売ったり貸したりしたくない人がいても強制しない」としている。また、間伐作業や草刈りの市民ボランティアを募る。計画案は2月下旬、市内の各地区から選ばれた地権者34人でつくる「世話人会」に説明し、了承された。今後、土地取得後の活用方法などをまとめ地権者との個別交渉をすすめる。

 かつて、ますみが丘には220ヘクタールにおよぶ平地林が広がっていた。しかし戦後間もなく、国が強制買収し、開墾のためすべての木が伐採された。そのうち地元の要望で焼く66ヘクタールが防風林兼風致林として残され、カラマツやヒノキが植えられたという。

 市民などで作る平地林研究会階調の建石繁明・信大農学部教授は「平地林には昔懐かしい里山の姿が残る。開発の手を加えないことが望ましいと思うが、このままだと住宅や店舗の虫食い状態になるだろう」と話す。「ただ遊歩道を造るだけでなく、平地林の歴史や住民とのかかわりを教えるインスタラクターを育成するところまで考えてほしい」とも提言している。

<木村コメント>
 ますみヶ丘は伊那市西部に広がる平地林である。ここは1988年に信州大学農学部の学生を中心に地図が作成された。この時の調査メンバーは斉藤、前沢、大島、溝口、木村ほかである。このテレインを調査する時はすでにゴルフ場計画全盛期であり、ゴルフコースがオーバープリントされた地図も見たことがあった。調査して半年で消滅するテレインと知りつつ地図調査は進められた。

 その後、市民の反対運動にあってゴルフ場計画は中断する。その後このテレインは1993年には範囲を広げてリメイクされ、日本学生連盟によって第1回のインカレショートが開催される。参加者450名を集める。翌年には長野県オリエンテーリング大会の多日間大会スタイルの原点ともなった2日間大会が真夏に開催され、これもまた参加者450名を越えるヒット大会となった。

 その後、長野県協会の事業が菅平高原国際スキーO大会に主軸を移してゆき、かつ信州大学農学部のオリエンテーリングクラブメンバーが減少したこともあって、ますみヶ丘に足を伸ばすことも少なくなった。さらに、ここにきて地図をすべて使い尽くしてしまったという事情もある。
しかし、ますみヶ丘は、駒ヶ根高原、菅平高原と並んでここ10年の長野県のオリエンテーリングシーンでもっとも活用されたテレインのひとつであることは間違い無い。

 2002年、クラブカップが駒ヶ根高原にやってくる予定である。これを機会に、ますみヶ丘の地図のリメイクをやろうという声もあるようである。


北信越メーリングリストの開設案内
北信越OLクラブ連絡協議会
北信越OLクラブ連絡協議会では、去る4月1日に開催された平成12年度総会におきまして、北信越地区のOL愛好家の情報交換等を行い、OLの普及発展を図るため、北信越メーリングリストを開設することを決定し、4月末から正式に運用開始を予定していますので、ご案内申しあげます。
つきましては、お手数ではございますが、貴協会またはクラブの皆様方にご案内いただき、電子メールのアドレスを持っている方がおられましたら、是非、このメーリングリストに登録(無料)いただきたく、お願い申しあげます。
なお、申し込み及び問合せは下記のところで随時受け付けておりますので、多数の方に登録いただきますよう、お願いいたします。

<申込・問合先>
林 博  Phone 0776-35-9860
hhayashi@mitene.or.jp
〒918-8011  福井市月見1-2-65


今後の予定について
6月17日(土)13:00-
総会 (長野県須坂市勤労者研修センター 中会議室 )

6月18日 (日)
全国一斉オリエンテーリング大会(須坂市臥竜公園)

10月8日(日)
高遠フェスティバル(高遠町 国立高遠少年自然の家)