全日本大会2005
栃木県・矢板市
2006年3月26日
オリエンテーリング大会参加者の死亡事故発生
(全日本オリエンテーリング大会/栃木県矢板市・塩谷町)
2006年4月2日 orienteering.com 木村佳司
2006年4月4日 続報
【競技中に参加者が死亡】
2006年3月26日、第32回全日本オリエンテーリング大会(主催:日本オリエンテーリング協会)において、M70A参加の大田基氏(MOK)が競技中 に急逝された。享年73歳。
コース途中で倒れられた大田氏を助けようと、現場を通過する多くの参加者が競技を中断し救命にあたった。救急車も到着して救命治療が行われたが、残念なが ら及ばず死亡に至った。

オリエンテーリング大会で過去に死亡事故が発生した事例は、海外ではあるが日本国内では初めて。特に日本オリエンテーリング協会主催の全日本大会という舞 台で発生してしまったことに対して、関係者はショックを隠せない様子。


【救命は参加者頼み】
日本オリエンテーリング協会始まって以来の大事故ともいう今回の死亡事故。今回と同じように、運動中の心肺停止という事例は、実は多くのスポーツで報告さ れている。もっとも私たちの印象に残っているのは皇族の故高円宮憲仁さまが2002年11月21日にスカッシュを楽しんでいるとき、心室細動のため逝去さ れたことだ。
この高円宮さまの事故をきっかけに、除細動器(AED)が公共の場所に配備され、徐々に整備されている途中である。2005年に行われた愛・地球博では多 数の除細動器(AED)が会場に配備されたと聞く。

今回の大田氏の症状が仮に除細動器(AED)によって対応できるものであったとしても、今回のケースに対応することは非常に難しいと思われる。
それはオリエンテーリングが非常に広大な競技エリアを使用すること、決まったルートを取らないといった、オリエンテーリングの特性によるものである。こう した突発的な事故に対して、頼りになるのは、同じテレインで競技している他の競技者のみということになる。


【初期救命にあたった参加者の証言】
 私が現場に遭遇したときは、大田氏がうつ伏せに倒れられており、2〜3名の競技者とスタッフの方がおられました。「今本部に連絡をとった」と いうことでした。
最初、大田氏はアスファルト道路の真ん中に倒れていました。転倒して怪我をした程度と思い、道の端へでもかわしてあげたら自分は競技再開するつもりでし た。
少し道の端へ移動させながら姿勢を変えてみると、額に打撲傷があり鼻血も少し出ていました。ところが、いくら呼びかけをしても意識が戻らず、
これは本部から来る看護士を待つしかないと思いながらも、呼びかけをしながら通行車からの安全を確保する程度のことしか出来ませんでした。それ以上の処置 は思いつきませんでした。

看護士が到着して、すぐに救急車の手配が行われました。そしてすぐに人工呼吸、心臓マッサージを始めました。

最初は2-3名しか居なかった現場も、救急車が到着するまでには50名程度の参加者が通過し、人も溜まって救命処置が行われました。
「大丈夫ですか、しっかりしてください」と救急車が来るまで常に声を掛けておられたW21Aの女性。
地名を聞くために近くの民家へ2回(多分)走られた男性。
マウスTOマウスの人工呼吸を一人で頑張られた男性。
心臓マッサージをされた数人の男性

救急車がやっと到着し、救急士の人から「もう皆さんは離れてください」という指示がありました。救急の状況を少し見た後、スタッフの方に「もう必要ないで しょうから競技に戻ります」と言って、競技を再開しました。

この間24〜5分でした。看護士、救急車それぞれの到着までずいぶん長く感じました。

当初の数人では、どうしてよいかとても不安でした。あとから考えればすぐにわかりそうなことでも、そのときはなかなか気が回りません。もう少し良い介抱の してあげ方はなかったか、今後仮にそんな場に遭遇したら、もっとより良いやり方が出来るよう勉強しておきたいとの思いが強いです。あの場に居合わせた方、 おそらく全員がそうであろうと思います。


【参加者に精神的ダメージ】
大田氏は誰もいない山の中で倒れたのではなく、多くの競技者が通過する路上で倒れた。そのためオリエンテーリング競技中の事故としては事故発生から早めの 救命が開始されたようだ。
いろんな人からの証言によると、現場での初期救命法も適切なものであった。ただ、現場は会場から遠く離れていたため、除細動器(AED)を使用することが できなかった。
救命にあたった参加者はベストを尽くしたにも関わらず結局、救命できなかった。
「もっとうまくできれば救命できたのではないか。」 こうした自己追求が、救命にあたった参加者に大きな心の傷となって残っているようだ。


【静かだった会場】
一方、大会会場である矢板運動公園は静かだった。救急車が会場に来ていないので、会場に居た人は誰も事故に気付かなかった。
全日本大会会場では予定通り表彰式が行われ、JOAの新ロゴの投票が行われたりと終始おだやかな雰囲気の中大会は終了した。
大田氏が倒れた時間帯よりも早く現場を通過した競技者は最後まで事故に気付かず会場をあとにしている。
【続報4月4日】
その後の関係筋の情報によると、大田氏の死亡原因は高血圧の要因による急性心筋梗塞での病死と診断。告別式は2006年3月29日に盛岡市で行われた。
日本オリエンテーリング協会からの正式発表は もうすぐ行われるという情報が入っている。